映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
〔詩〕青葉の笛
2007年02月28日 / 詩
一の谷の 軍(いくさ)破れ
討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ
暁(あかつき)寒き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛
更くる夜半(よわ)に 門(かど)を敲(たた)き
わが師に託せし 言の葉(ことのは)あわれ
今わの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)に
残れるは「花や 今宵(こよい)」の歌
「青葉の笛」大和田建樹作詞
=============
これは文部省唱歌。戦前の小学生は、こんな形で何の無理もなく「平家物語」
という古典と歴史に親しんでいたわけだ。(私の時は中学の教科書にあったか?)
〔1番〕は16~17歳にして、熊谷次郎直実に討たれた無官の大夫・平敦盛が、
携えていた「名笛小枝」の歌。死を目前にしての風流、夭折、武将の無常観の
目覚め等々日本人の美意識に訴える要素に満ちている。
ところが映画「無法松の一生」で少年が学芸会で「青葉の笛」を唱う
シーンが軍国主義的だと、GHQの検閲で、カットされたとか。(戦争中は
逆に、松五郎の未亡人に恋心を告白するシーンがカットされた。)
〔2番〕は平忠度(ただのり)で無賃乗車=「薩摩の守」は昔の言い草。
平家都落ちの時、師・藤原俊成に自分の歌一巻を預けて去った。「千載集」に載った
さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
が「読み人知らず」なのは、勅勘の身をはばかって。箙に残った歌は
行き暮れて 木下蔭を 宿とせば 花や今宵のあるじならまし
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
俊成は巻物を開いて、「このような大切な形見の品を頂いた以上、
決して粗末にはいたしません。」と言えば、薩摩守は、
「今はもう西海の波の底に沈もうと、山野に屍をさらそうとかまわない。
この世に思い残すことはありません。ではお別れいたします」
と言うや、騎乗の人となり甲(かぶと)の緒を締めると、西に向かって駒を進めた。
俊成は、その後ろ姿をはるか遠くまで見送っていたが、やがて忠度の、
「前途ほど遠し、思ひを雁山(がんさん)の夕べの雲に馳(は)す。」
と高らかに朗誦する声が・・・・角川ソフィア文庫「平家物語」より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
命からがらの逃避行の最中にわざわざ馬の頭を回らせて、自分の作品を預けに行く
とは、なんだか身につまされるエピソード。客観的な上手下手に関わらず
人は多少なりとも作品に生命を託している。古くは毎月の短歌作りに精魂を
傾けていた亡父の姿、近い例では、文章教室の月2回の締め切りに右往左往
する自分と級友の姿が浮かんでくる。なかには、旅行中の海外から航空便で
送って来て、「何もそこまでしなくても」と師を苦笑させる生徒もいる。
討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ
暁(あかつき)寒き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛
更くる夜半(よわ)に 門(かど)を敲(たた)き
わが師に託せし 言の葉(ことのは)あわれ
今わの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)に
残れるは「花や 今宵(こよい)」の歌
「青葉の笛」大和田建樹作詞
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これは文部省唱歌。戦前の小学生は、こんな形で何の無理もなく「平家物語」
という古典と歴史に親しんでいたわけだ。(私の時は中学の教科書にあったか?)
〔1番〕は16~17歳にして、熊谷次郎直実に討たれた無官の大夫・平敦盛が、
携えていた「名笛小枝」の歌。死を目前にしての風流、夭折、武将の無常観の
目覚め等々日本人の美意識に訴える要素に満ちている。
ところが映画「無法松の一生」で少年が学芸会で「青葉の笛」を唱う
シーンが軍国主義的だと、GHQの検閲で、カットされたとか。(戦争中は
逆に、松五郎の未亡人に恋心を告白するシーンがカットされた。)
〔2番〕は平忠度(ただのり)で無賃乗車=「薩摩の守」は昔の言い草。
平家都落ちの時、師・藤原俊成に自分の歌一巻を預けて去った。「千載集」に載った
さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
が「読み人知らず」なのは、勅勘の身をはばかって。箙に残った歌は
行き暮れて 木下蔭を 宿とせば 花や今宵のあるじならまし
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俊成は巻物を開いて、「このような大切な形見の品を頂いた以上、
決して粗末にはいたしません。」と言えば、薩摩守は、
「今はもう西海の波の底に沈もうと、山野に屍をさらそうとかまわない。
この世に思い残すことはありません。ではお別れいたします」
と言うや、騎乗の人となり甲(かぶと)の緒を締めると、西に向かって駒を進めた。
俊成は、その後ろ姿をはるか遠くまで見送っていたが、やがて忠度の、
「前途ほど遠し、思ひを雁山(がんさん)の夕べの雲に馳(は)す。」
と高らかに朗誦する声が・・・・角川ソフィア文庫「平家物語」より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
命からがらの逃避行の最中にわざわざ馬の頭を回らせて、自分の作品を預けに行く
とは、なんだか身につまされるエピソード。客観的な上手下手に関わらず
人は多少なりとも作品に生命を託している。古くは毎月の短歌作りに精魂を
傾けていた亡父の姿、近い例では、文章教室の月2回の締め切りに右往左往
する自分と級友の姿が浮かんでくる。なかには、旅行中の海外から航空便で
送って来て、「何もそこまでしなくても」と師を苦笑させる生徒もいる。
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