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モスクワの誤解

著者 シモーヌ・ド・ボーヴォワール
訳者 井上たか子
発行所 人文書院 2018年(原書2013年)

原著は1967年で、これまで単行本にはなっていない。

物語はソ連を旅行中の初老のフランス人夫婦が、おたがいに行違いが生じるが最後には和解するといったもの。ふたりは退職教師であり、現実のサルトルとボーヴォワールでなく一般化されている。老いからくる心身の衰えを痛感し、夫婦関係もほころびだすといったそれぞれの独白が記述される。何かと不自由なソ連の旅行記の側面もあってこちらが興味深い。案内の若い女性は、反体制的で、官僚組織と戦っているのは、91年のソ連崩壊の先触れのようだ。

めいめいが相手に感じる幻滅と孤独感。実の子に対する嫉妬や疎外感。

夫は覚め際に寝ぼけて「ママン」と言ったりする。
なぜ、私と結婚したのだろう、厳しい母親に似ていたからかしらと思う妻。
また夫がロシア語を覚えようとして、すぐ忘れてしまう。60歳前後だと思うサルトルの心身の老化を感じた。1日に40本もタバコを吸うという不摂生な生活も原因かも知れない。

  ~~~彼はウォッカの瓶に手を伸ばして言った。「今日はもう十分勉強したよ」そして悔し気に付け加えた。「記憶力がなくなった」「習ったことが身につかないんだ。覚えた端から忘れていく」~~~

 ~~~「気まぐれで、目的のない読書は、クロスワードパズルや間違い探しゲームより、少しだけましな時間つぶしにすぎなかった」

 フランスにも当時から間違い探しゲームがあったのか、と嬉しくなった。

女主人公が空の月と星を見て、「オーカッサンとニコレット」の詩を口ずさむシーンがある。「愛しき星よ、我は見る。月もそなたを引き寄する」この「オーカッサンとニコレット」のタイトルは、60年前、高校の国語の教科書で読んだ。それを手紙に書いた立原道造は建築科の学生で、彼女の6歳下。
「これこそ文学の美点だわ。イメージは色あせ、形を変え、消えていく。でも言葉は、昔それが書かれた時のままに、甦ってくる。」

ボーヴォワールは若い時、教師という職業を単に生計のためとしか思っていなかった。しかし、のちには、教職者全体を高く評価するようになったという。この小説が「招かれた女」と真逆に、主人公夫婦を教師と設定しているのはそのためだと思う。また数年のちの著作「老い」につながっている。

ともかく、今ごろ彼女の未発表の著作を図書館の書架に発見して、わくわくした。表紙は緑色の空にモスクワの塔群が浮んでいるの図。

→「招かれた女」21-3-21
→「別れの儀式」21-2-21
→ロシア語 17-12-10
→おじいさん11-10-2
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