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名前

      赤土岸山(あかとぎしやま)山頂より遥かに尾鈴と日向灘を望む

2004年8月31日作 「自由題」

これは文章教室に入って初めての自由題のときに書いた文で
「意余りて技足らず」の観あり。


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     「名前」

私の名をつけてくれたのは、亡くなった父である。わざわざそのようなことを言うのは、本来ならば、母方の祖父がつけていたはずだからで、私以外の四人のきょうだいは、皆、漢籍からとったらしい、抽象的で道徳的な匂いのする字、「敬」とか「節」とかを名前の一部にもらっている。それにひきかえ美O子というのは、どうやら、父の、そして私の、生まれ故郷である宮崎の、美しい山々にちなんでつけられたものらしい。父は故郷と縁が薄く、一生、望郷の歌ばかり作っていたようだ。父の遺歌集を見ると、そのことがよくわかる。
 「どうして私の名だけおじいさんがつけてくれなかったの。」と母に尋ねたことがある。「戦争中で郵便が届かなくなっていたから」というような返事だったが、私は心ひそかに、祖父が次男を望んでいたのに、三人も続いて女の子が生まれたのが原因ではないかと思っている。
何はともあれ、家の中でともすれば影が薄くなりがちな父に、四人目にして初めて命名権が与えられたことは、今思っても喜ばしい。同年輩の友人に、美和子、美智子、美枝子などと、似たような字面の持主がいることもあって、私の名は割と目立たない、女らしい名であると思う。大声で自己主張することのなかった父の性格がよく出ている。そしてこの名によって、幼くして私の離れた、今は父の眠る、生まれ故郷の宮崎の自然と、つながっていることが、何より嬉しいことに思えるのである。
              

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八木先生:一度つけられると一生ものの名前だけに、そのルーツはだれもが知りたいところ。ふるさとの美しい山々とはすばらしい。

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先生は万葉集の歌「この丘に菜摘ます子」から長女の名を「われはもや安見児得たり」から次女の名をつけられたそうだ。二人目が女だったとき、昔風に落胆するどころか大喜びで迎えられたことが名前でわかる、素敵な命名だなあと思う。

→「名前を呼ぶこと」11-11-16
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