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【映画】抱擁のかけら

2009 スペイン 128分 LOS ABRAZOS ROTOS 監督 ペドロ・アルモドバル 出演 ペネロペ・クルス ルイス・オマール ホセ・ルイス・ゴメス 島根県民会館にて

これは映画を作ることの映画だ。その意味で同じ監督の「バッド・エデュケーション」を連想させる。見知らぬ青年が映画のアイディアを持って現われるファーストシーンは同じ。

金持ちの老人と、その囲い者の若い美女(ペネロペ・クルス)と映画監督との三角関係、始まりは凡庸で通俗的だが、終りは崇高な宗教的ともいえる終り方になる。起きてしまった過去はもう動かせないが、芸術作品を創造することで、救われるのだ。

上の画像ではオードリー・ヘプバーン風に清純な少女であるが、本当の彼女はもう少女でも清純でもないので、かえっていかがわしく見えて来る。以前アルモドバル監督の「ボルベール」で、私は「彼女の美貌は、歌舞伎の女形またはドラァグ・クイーン(女装芸人)のそれである。女に成りすまそうとしている男、の真似を女がする、これを倒錯といわずしてなんと言おうか。」と言っている。(→07年7月)今思えば、よくも知らないのに、想像と直感だけでずい分大胆な断定をしたものだ。実は当時も、内心ひやひやしていた。ところがその後の情報で、アルモドバルはやはりゲイで、自分が欲望を覚える唯一の女性はペネロペ・クルスだと言ったとのこと。私の発言も、まるで見当違いでもないことが分り、ホッとした。彼がゲイであることは、この映画の性描写にも現われているように思う。例えば、冒頭に、逢ったばかりの女性と関係を持つ主人公が出て来る。男女間でこんな性行動は唐突で不自然である。余に激しくて過剰で衝動的過ぎる。これはゲイの性行動ではないのか。さもなければ、「自分は女性への欲望が無いが、異性愛の男性はきっと常に女性に激しい欲望を抱いているし、機会さえあればセックスしたいのだろう」という彼の膨れ上がった想像力から生み出した筋書では。

ペネロペ・クルスはウディ・アレンの「それでも恋するバルセロナ」→09年12月では、かつて無いほど魅力的で美しかった。監督によって、同じ女優が別人のようになるのだから、映画監督とは神様に近いものだと思う。機会さえあれば猫も杓子も映画監督をやりたがるのはそのせいだろうか。しかしその中である水準以上の映画を作れる者はまれ。誰でも出来そうで、その実まともなものが出来ないのは文章と同じだろうか。(勿論、私もその口)

閑話休題、アルモドバルの映画は、まるで見世物小屋のようにギラギラとどぎつい照明を当てられた、奇妙な人物が次から次に登場する。私の好みでは全然ないが、年に一度サーカスを見に行った子供時代を思い出させる彼の作品を観ることは日常を離れるのに格好である。

アルモドバルとペネロペ・クルス→「ボルベール(帰郷)」7-7-25
ペネロペ・クルス→「それでも恋するバルセロナ」9-12-6「捕らわれた唇」9-12-10
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