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映画「野火」


                


1959 大映 105分 監督 市川崑 原作 大岡昇平 音楽 芥川也寸志 脚本 和田夏十 
出演 船越英二 滝沢修 ミッキー・カーチス 浜村純

原作は昔読んだが、これまで映画は敬遠していた。
ツタヤの「昭和キネマ横丁」にあったので借りて見た。

(おはなし)第二次大戦末期、1945年2月、フィリピンのレイテ島に圧倒的な米軍が上陸するなか、取り残されて飢えにひんする日本軍の仕事はただ食料調達のみ。病に侵され、病院からも、原隊からも追い出されて彷徨う、ひとりの兵隊が見た景色は……

最近、日本人の誇りを取り戻そうと、勇ましく、美しく、カッコ良い軍隊や戦争を描く映画が多い。

しかしこれは身を持って戦争を経験した世代ー大岡昇平・市川崑・滝沢修が戦後まだ14年に生々しい記憶をもとに描いた戦争で、派手な銃撃戦があるわけでなくー手榴弾1個と日露戦争以来の旧式銃1挺しか持たずー追いつめられて逃げ惑う情ない日本兵の姿だ。
「野火」と言えばまず連想するのはカニバリズム(人肉嗜食)だが、それはいつの世にもあったことだが、猟奇的な快楽とか嗜好としてではなく、ここでは飢餓に追い詰められたギリギリの状況で起こったこと。

船越英二は、受身で虚無的な顔だなあと日頃感じていたが、生まれつきそうなのかもしれないし、あるいはこの映画の撮影中ずっとしていた表情が抜けなくなったのではと思わせる。

大岡昇平の原作は、主人公は最終的にキリスト教の信仰に到達するが、映画はそれと違い、神の代りに「人間」を据えている。「人間が普通に暮しているところに行きたい」と言うのが、主人公の最後の言葉だ。

ミッキー・カーチスと滝沢修はすっかりなりきっていて字幕で見るまでその人とは気づかなかった。
日本男性は兵隊かやくざを演じるとハマるというが……。

ミッキー・カーチス演じる人肉を食う若い兵士(永松)は人懐こいいい男であり、人はみなそういう可能性があると作者は言っているらしい。悪いのはそういう状況に追い込んだ愚かで強大な権力であるとも思わせる。

大岡昇平氏が文化勲章を辞退した理由は「捕虜になったような人間が陛下から勲章を頂くことはできない」謙遜そうに装った痛烈な皮肉。新聞・雑誌各社からは数多く受けているので、あながち賞が嫌いというわけではない。

戦争末期に、35歳にもなって一兵卒として南の島に送られ、妻と3歳の娘と涙で別れたという恨みは深そうだ。

ゴダールの「女と男のいる舗道」1962 では「野火」の日本語ポスターが酒場の壁に貼ってある。

ほかの戦争映画
 →「太平洋の奇跡」11-2-22
 →「人間魚雷出撃す」14-2-3
  →「硫黄島からの手紙」6-12-21
  →「少年H」 13-9-19
大岡昇平
 →「明日への遺言」8-4-23
船越英二
 →「日本橋」 8-7-26
 →「黒い十人の女」 8-8-23
 →「女経}    14-2-4
市川崑
  上3本プラス「さよなら市川崑監督 8-2-21
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