goo

茶道

今年94歳になる母は、私が高校を卒業して鹿児島を出た50歳のとき、
思い立って、お茶を習い始めた。彼女の小学校の恩師が、たまたま
茶道教室を開いていたのと、家に下の子が一人だけになって、
気分にゆとりが出来たのと、両方の理由かららしい。が、
一度始めたことは、途中で止めない性格なので、とうとう、
知らぬ間に、裏千家の師範の資格をとっていた。

結婚前は女学校の教師をしていたので、物を習うことや教えることが
好きなのだと思う。お茶そのものは、大して好きではないようで、
日常、人にお茶を振舞うことはあまり無い。

それどころか、親戚の間では、母が、教師時代、お茶汲みを拒否して
勤めを止めたという伝説が流布している。決して事実ではないのだが、
ひょっとしたらそうかも知れないと思わせる趣がある。

対照的なのが、夫の郷里、松江の人々である。

初めて婚家を訪ねたとき、義父が、抹茶でもてなしてくれた。
正式の作法は習ったことが無いそうだ。が、お茶を点てること、
人に供することが、心から好きだという様子がにじみ出ていた。
主人があぐらなので、客も四角張らず、気楽にごちそうになれる。
茶碗は、焼き物職人だった先代が焼いたものだという。
そして又、松江のお菓子は、見た目も味もさりげなく上品で、
私には日本一に思える。

主人は客の、客は主人の気持になって茶席に臨め」とは、
不昧(ふまい)流の創始者、藩主、松平不昧公の言葉である。
茶道が、形式的なものではなく、日常生活の隅々にまで行き渡って
いるのを、この地を訪れるたびに感じる。
               
文章教室 課題「茶」2005年7月5日作成、7月20日返却

【八木先生評】松江には、ボテボテ茶というのもありますね。
茶所では、菓子も一流。名古屋、金沢、そして松江。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
「松江の菓子が日本一」には先生、カチンと来たご様子で、
「そんなことを言ったら京都の人に笑われるよ」と。
後で知ったがお母様が京都の出だとのこと。失言でした。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 【映画】狂っ... 【映画】ホー... »
 
コメント
 
 
 
Unknown (kazukokawamoto)
2008-11-23 13:20:23
ペングループの友達が、たまにお茶たてて下さいます。私はできない。お茶は好きです。友達の茶のグループに招かれていきます。いいなと思うが、今から習うことは出来ない。お母様偉いなと感心します。
 
 
 
心が一番です (Bianca)
2008-11-23 16:45:44
母は千何とか言う名前も持っていますが、
日常は大違いで家は散らかり放題。
たまにやって来た娘にお茶も出さない。
資格がなくても、人の顔を見たら「お茶でもいかが」
という思いやりのある人の方が好きです。
 
 
 
母のお茶教室 (k.sakaguchi)
2011-01-02 17:35:31
大正4年生まれの母も鳥取でお茶を習っていたときの写真が残っています。鳥取花街に家があったらしく、芸者さんと一緒に写っています。わが家の女4人の中で、母が一番美人で、叔父が「お前たちは足元にもよれん」と言ってたくらいです。懐かしい写真です。わが家は全員お茶大好き人間です。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2011-01-02 19:57:58
さぞ美形のお母様だったのでしょうね。私は完璧な父親似です。私の母は美人じゃなかったので、私は満足なんですが、やはり親は自分に似た子を好きになると。。。オットこの話よしましょうね、ついつい危険な方に行きますから。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。