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【詩】若き二十のころなれや

酒、歌、煙草、また女
      ----三田の学生時代を唄へる歌

      佐藤春夫

ヴィッカス・ホールの玄関に
咲きまつはつた凌霄花(のうぜんくわ)
感傷的でよかつたが
今も枯れずに残れりや

秋はさやかに晴れわたる
品川湾の海のはて
自分自身は木柵(もくさく)に
よりかかりつつ眺めたが

ひともと銀杏(いてふ)葉は枯れて
庭を埋めて散りしけば
冬の試験も近づきぬ
一句も解けずフランス語

若き二十(はたち)のころなれや
三年(みとせ)がほどはかよひしも
酒、歌、煙草、また女
外に学びしこともなし

孤蝶、秋骨、また薫
荷風が顔を見ることが
やがて我等をはげまして
よき教ともなりしのみ

我等を指してなげきたる 人を尻目に見おろして
新しき世の星なりと おもひ傲れるわれなりき

若き二十(はたち)は夢にして 
四十路(よそじ)に近く身はなりぬ
人問ふままにこたへつつ 
三田の時代を慕ふかな
        
~~~~~~~~~~~~~~~~
24歳の時、それ以前の日記を処分したので確かめる方法も無いが、その年(1959年)使っていた博文館当用日記は1日1頁式で、端に短い詩文のコラムがあった。そこで読んだこの戯詩は春夫が1934年に慶応義塾の「三田文学」に寄せたものらしい。昨日歩きながら「若き二十の頃なれや、三年がほどは~~」が、ふと口をついて出た。筆者は「さすが同じ二十歳でも詩人の詠嘆は美しい」と1言していた。

このコラムでは「灰色のノート」の題で「チボー家の人々」も紹介されていた。今も憶えているが、冒頭は「灰色のノートは、ダニエルとジャックが少女への憧れを記したものだったが、教師はふたりを誤解するので云々」。「誤解」とは何のことか、分らないままに読み飛ばした。1年後に配本された新潮社世界文学全集「チボー家の人々」を読んだ。小説の雰囲気は美しくて大好きだったが、その点は相変わらずモヤモヤとしている。ふっと1ぺんに解ったのは何年か後だった。まさか、ここで少年たちの同性愛が問題とされていたのは、だれもが知っている常識であり、それゆえ説明を略したのだとは、14歳の晩熟(おくて)な私には知るよしもなかった。
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