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神も仏もないものか

「神も仏もないものか」という声がする。船や車や、家や、電柱や、お寺までが押し流されてゆく光景の凄まじさにため息のごとく洩れる声だ。その通り、人類は荒々しい自然の前に投げ出された存在で、何か絶対的な力の、特別の配慮の許に生まれ生きているわけじゃない。

ノアの洪水はお話ではなく、大洪水は実際に起きたらしい。聖書では悪い人間が地上に満ちたから、神が罰を下されたと解釈している。ある政治家が「天罰」という言葉を使い、それに怒っている人もいる。しかし怒る前に考えて見よ、ほしいままに電気を使い、宇宙船からでも日本が列島の形に輝いて見えるような生活を維持発展させようとしたから、電力が足りず、原発も作ったのではないか。山手線に2-3分おきに電車を走らせる必要が本当にあるのか、と。

その原発を地震頻発の国土に作るに際して、絶対安全を目指したと言う。しかし、「こういうことが起きると絶対に困る」「だから絶対に起きないということにしよう」という考え方が、日本人は得意らしいのである。終戦直前にソ連が参戦する可能性も、それゆえに考えようとしなかったのだと、半藤一利氏は言っている。未曾有の規模の地震と津波が原発を襲う可能性も、あっては困るから、考えなかったのではないだろうか。

毎日「時代の風」で浜矩子氏は「人生において恐怖すべきことは何も無い。あるのは理解すべきことのみである」と言うマリー・キュリーの言葉を引いて「徹底理解で恐怖の克服を」と呼びかけている。私は彼女のことはこれまで敬遠してきたが、この文には感じ入った。
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コメント
 
 
 
Unknown (桃すけ)
2011-03-20 15:49:05
浜矩子氏を敬遠してきたとのこと、私も同じくで、苦手でした。でも、今回のことで「徹底理解で恐怖の克服を」というのは、ほんとうにそのとおりだと思います。が、その理解が難しい。原発のことは尚更。
だから私は連日の報道に、はっきりしない不安感で気持ちが沈みこんでいます。もう何もかもリセットされてしまい、「さあ、いちからやり直しなさい」と言われているようで。抑制的な被災地の人々に、目を潤ませているだけではいけない、と思うのですが・・。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2011-03-21 08:26:55
桃すけ様
コメント有難うございます。そうですね、情緒的にならずに根本から考え直すべきですね。貴女も苦手ですか?私が苦手なのは、文章が専門的なのとあの顔のせい(失礼)かと思いますが、今回は共感したのは、誰もに通じる話だったからではないかと思います。「徹底理解で恐怖克服を」と言う見出しは、新聞社側がつけたので、彼女の真意は「恐怖克服に足りるだけの理解をして原発を作ったのだろうか?」のようです。私の説明不足だったようでゴメンナサイ。
 
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