goo

若槻禮次郎と岸清一

1月3日(火)

松江歴史館で「国を動かした出雲人ー若槻禮次郎と岸清一」を見る。
ふたりとも県庁前に銅像があるが、戦争中に金属供出にあって
戦後再建されたとのこと。道理でデザインが古めかしい。

岸清一(1867-1933)は近代スポーツの父、1924年パリ・1928年アムステルダム・1932年LAオリンピック大会に選手を率いて行ったが、体育会系ではなく、東大法科を出て終始民間で活躍した国際弁護士であったとか。

若槻禮次郎(1866-1949)は昭和初期2回首相を務め、ロンドン海軍軍縮条約(1930)に署名した。戦後鬼検事キーナンに「真の平和主義者だ」とほめられたので、ある種の人々には評判が悪い。身体も弱かったそうだ。場内に彼の講演テープが流れていたが、とても単調・地味で眠くなりそう。しかし彼の謙虚な人柄は生涯を通じて一貫しており、好感が持てる。

ふたりとも雑賀町(さいかまち)の出身で互いに遠い親戚でもある。
雑賀町は下級武士の住む街で、江戸時代から教育に力を入れていたようだ。
(鹿児島市加治屋町出身の西郷と大久保を連想させる。)
余分なことだが、Kの義母(96歳)は同じく雑賀小学校の出である。
認知症が進んだ今もプリントに取組んでいるのも、納得がいく。

岸清一の碑文が全部漢文なのに驚いた。建立された昭和10年とはそういう時代だったのか。  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 新庄二郎の浮... 笑っておりま... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。