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甘党の店

学生時代最後の1968年夏に天王寺駅に近い喫茶店でバイトをした。

ワンピースにエプロンの制服で働いているのは四国から来た中卒の女子が主で、高校、短大、大学生のバイトが少しいた。
奥の二階の事務所には40位の女性と店長がいて、給料の計算とか雑談をし、指を切った子に絆創膏を支給したりしている。

メニューはかき氷が100円珈琲が60円紅茶80円クリームソーダは150円、そしておはぎ120円。(記憶を辿って書いているので、違っていたらごめんなさい。)おはぎは注文を受けてから職人が作るので、時間が掛かる。食べるようにと内緒で握ってくれたことが1、2回あった。

当時「なんば一番」というキャバレーがミナミにあってこの店の名前と紛らわしく、時々まちがい電話が来た。また、隣にはうなぎ屋があり、土用の丑の日には非常ににぎわっていた。何年かしてから、このうなぎ屋に入ったことがある。

その夏休みは大学に入って初めて帰省しなかったので、親が心配して偵察を頼んだのか、伯母が来たことがある。客席の彼女は、いかにもこの店には不似合いで、気の毒に感じた。もともと東京の人で住まいも吹田だった彼女は、もっと趣味の良い生活をしていたからだ。しかし専業主婦だった伯母は仕方なく来たものの、未知の世界に触れられ、ある種の楽しさをも味わったのではと、これは私の希望的推測である。

給料は1日800あるいは600円位だったか、斜向いにあった1日1000円の店を羨んだものだ。

「機嫌よく生きる」18-1-17
「今年を振返って」17-12-31
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