映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
ことばが消えてゆく
10年前、85歳の義母は病院を受診しに、大阪に来て、ひとりで飛行機に乗って帰れた。
オードリー・ヘプバーンとか吉屋信子の話をして、デイケアにはこんな話のできる人がいなくてねと言っていた。
Kが定年を残して松江に私と共に帰ってきて8年余になる。
その当時の彼女は物忘れはしても、よくしゃべり、自分の足で歩いていた。
デイケアでは習字とか絵手紙、俳句も作り、漢字テストで好成績を上げ、
電話も掛け、連絡帳には自分で書き込んでいた。
3人で映画や美術展を見たり、外食したり、蟹を食べに車で遠出したり、牡丹や桜の花を見にも出かけた。
認知症は確実に進み、95歳の今は歩けず、食べず、家でも施設でも1日の大半を寝ている。
一昨年の5月に、施設の夏祭に行ったときは
何か苛立ったとき「早く!」と「ない!」としか言わなかった。
去年の12月、久し振りに私と会ったとき
「この人、だれかわかる?」とKが尋ねると
「好敵手」には驚いた。ある意味あたっている。
ひところ「さいざんすか」と返答するクセがついていた。
子供が幼稚園で新しい言葉を憶えてくるように、
彼女はデイケアでこういう表現を身に着けている。
ケアマネジャーの55%は、顧客が殺人を起す可能性があると言っているそうだが、
施設のスタッフが虐待する気持も判るとKは言っている。
人間に最後まで残る感情は怒りだろうか、いつも怒っているとも言う。
「ばか!」と言って人の頭を叩いたり噛みついたり引掻いたりするそうだ。
初めて遭った結婚式の時、50代半ばの彼女は、模範的な主婦でたえず周囲に気配りし、
わたしの家族が連発する非常識な発言に対し、その場を丸く収めるような発言をした事には深い感銘を受けたものだ。
それが、認知症になるとこうも変わるものか。もはやあの彼女とは全く別の人物いや生物としか思えない。
もし実の親なら、ここまでできないだろうとKは言う。
義理の親(継母)だから、やらねばと言う気持ちが強いのだそうだ。
嫁が仕えるような心理だろうか。
言葉が消えていくことが、脳の機能の退化の目印だろうか。
そうだとすると、わたしも言葉で表現する訓練を怠らないようにしよう。
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赤ん坊も8年経つと小学生、はじめ手間がかかっても成長する楽しみがありますが、認知症になるとかえって長生きするというのが困りものです。しかし、必ずしもこんなではなく、もともとの性格によって、かなり個人差があるようですよ。姑は自立したきつい性格でした。
現代は在宅介護が中心になっていますが、幸い私ではなく彼が主になってやってくれます。
「4,5時間しか眠れない夜が何年も続いている」と不平を言うので、あなたが会社勤めのころはわたしも何十年もそうしていたと言ってやります。しかし睡眠不足は人間にとって一番つらいこと、もう8年にもなるので、そろそろあの世に行った彼女の夫が呼び寄せてくれないかと墓の前で頼んでいるそうです。
95歳ですか。私は両親も親戚も、妹たちの嫁ぎ先の両親たちにも認知症の人がいなくて、身近ではその苦労を知らないんですが、友達関係ではよく聞きますね。妹の高校時代の友達が「若年認知症」になったと聞いて驚きました。私もよく知っているし、とてもチャーミングな人でしたので、ショックでした。お義母さまの年齢まで20年以上もあるんですね。私はあと5年でいいと思っているのに、そういうわけにもいかないんでしょうね。
コメント有難うございます。
義父母は職人の家系で、日頃から手先をよく使うから認知症にはなるまい、なったとしても、彼は3男坊だし、介護の可能性はあるまいと思ってきたのですが、全く想定外でした。ともかく、頭が壊れることを思えば、ほかの病気は軽いものです。特に周囲の人にとってはね。
ですから桃すけさんもいばって長生きしてください。