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母校


半世紀余り前に卒業した高校を検索してみたら、意外な事実につきあたった。
     
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第二次世界大戦中の国家状況を反映して、軍関係への志望者が増加、それに伴って
中学校(旧制)進学希望者数も増加したが、当時鹿児島市内の旧制中学校は公立2校
私立1校のみであったため、市議会の議決により1940年設立に至った。
               鹿児島市立G高校 沿革ーーWikipediaより

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つまり戦争に備え、軍隊への予備校として創られた学校なのだ。
(当時の公立中学は殆どその目的に充てられたらしいが)
家から5分のところにあるので通学には便利だった。
今思えば創立の事情のせいか、戦後15年たっても、スパルタンな空気が漂っていた。
例を挙げると

1.教職員組合が無い。

2.体罰が横行している。(化学・物理・数学・英語科)

3.クラスのほぼ全員に、男子は防衛大、女子は自衛隊看護学校を受けさせる。
  男子48名のうち防衛大に進学したのは8名。うち1人は航空自衛隊の
  西部航空警戒管制団司令部に(98年段階で)所属、もう一人は防衛大学校長に。

4.何かと言えばマスゲームをやらせる。今の天皇が皇太子時代に夫妻で来県した時も
  各校から女生徒が集められ、雨に濡れながらのマスゲームをやらされた。

5. 米軍の軍楽隊を招いて校庭で演技させた。
   担任の教師はそのきびきびした凛々しい動作にむやみに感激して
  「それに引替えだらだらして覇気が無いお前たちを見るとゲッソリするよ。」と言っていた。

6.進学組には修学旅行はないし、クラブ活動も出来ない。理由は以下の通り。

7.夏休みは7日、冬休みは3日?であとは毎日補習授業。

8.月~金は8時間、土曜は6時間授業。(朝夕1時間の補習)
  (塾のない時代で、おそらく先生たちの無料奉仕だったのだろう)

9.そういう奉仕の見返りにか、英語・数学の先生は校長や教育委員会に栄転。

卒業後も30年くらい、わが母校の勇猛な?教育ぶりは近隣に鳴り響いていたが、
その割に成績は伸び悩み、東大合格者ゼロが数十年続く。

数年前に中高一貫校に変わり、今は、ネットの書き込みで見る限り、評判は良い。
それがただの美辞麗句でないことを祈るばかりである。

→「プロフィール」6-11-7
→「ヒョンスンの放課後」6-11-18
→「窓際の席」9-1-21
→「ザ・ウェーヴ」10-7-28
→「エリックの青春」12-1-23
→「サマセット・モーム:人間の絆」13-10-5
→「ある教育実習生」13-11-17
→「品詞分解」15-5-3
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