映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
「バルザック書簡集」
2021年02月17日 / 本
オノレ・ド・バルザック著 伊藤幸次・私市保彦訳
1976年 東京創元社刊 バルザック全集(26)
彼の全体像を知るには、小説よりも書簡集が適していると思ったので借りてきた。ざっと読むと、彼が原稿のほかに、手紙も膨大な量を書いていたことが分かる。スタンダールやジョルジュ・サンドへの手紙や、アンデルセンの芳名帖のための文章もある。印刷業者への怒りのこもった手紙、妹への日記代わりのような手紙、母親への事務的な中にも幼年以来の恨みを抑えきれぬ手紙もある。そして巻後半には十年以上にわたって遠距離恋愛をしたハンスカ夫人への手紙もある。
しかし、私が最もバルザックの人物像がわかったと思ったのは、付録の月報にあった高山鉄男氏の「同時代人の見たバルザック」という一文だ。
1.会話の能力がない
作家のアンスロ夫人によると、バルザックは会話の技術というものをまるで知らなかったという。「彼の話には確かに活気があった。しかし騒々しいうえに、会話というよりも独白に近かった。何しろバルザックが話題にするのは、自分のことばかりで、しかも誇張が多く、どんな話を聞いても本当とは思われなかった。晩年になると、バルザックは金の話しかしなくなった。
2.経済観念がない
公証人メナジェは、バルザックがある土地を買おうとしたときの逸話を語った。売手との間にはすでに合意ができ、後は証書を作るだけである。ところがそのときになって、バルザックは、「わたしの欲しいのは小さい家と小さい土地なので、全部の土地はいらない」と言い出した。売り手が「全部でないと売らない」というと、「約束の金はそのまま払うのだから、売手にとっては同じだ」と言う。この不思議な話に公証人は驚きつつも、いらないという部分を売買からはずした。ところが1年後、バルザックはそのわざわざ外した土地を、再び代金を払って買い足すはめになった。バルザックが経済観念を全く欠いていたことの好例である。彼が一生にわたって借金を返し続けたのも当然というものだ。(でも「小さな土地に立つ小さな家がほしい」というロマンチックな思いを貫くために、周囲がこぞってやめさせようとしても意志を貫きたかった心情は大いにわかる。)
高山氏はこの二つの逸話から、
「ここに現れているのは、客観的なものの見方というものをまるですることのできなかった、一種の生活無能力者の姿である。ただ、生活人としては全く無能なこの人物は、内面に恐るべき天才と、夢に満ちた金無垢の心を持っていた。同時代人たちには、一部の人を除いて、それがわからなかった。それをよく知っているのは、もっぱら作品を通じてバルザックに接するわれわれ後代の読者の方である。」
と述べている。これは単にバルザックだけでなく、作家や芸術家、そこまで高級でなくても落語に出てくる江戸の庶民にも通じると思う。(一両損など)結局、この本を1冊読んで、これほど感銘を受けた文はなかった。というわけで、まだ落ち着いて彼の小説を読むに至らないのだが、コロナでこもっているうちにそういう機会もあるかもしれない。
→「ランジェ公爵夫人」9-11-12
→「金色の眼の娘」」20-12-15
→「バルザック」21-1-20
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