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澁澤龍彦の少年世界

著者 澁澤幸子 発行所 集英社 発行年 1997年

実に読後感の良い本だった。幸子は2歳下の妹で、顔も性格もよく似ており、自分でも「よい妹だ」と本著で何回も言っているくらいで、遺伝子も共有しているらしく、文才という点でも兄に似ているようで、非常に読みやすい。

戦争傍観者だったという父親の逸話も素晴らしい。龍彦は語る。

「父が60歳という思いがけない年齢でぽっくり死んだのは、あのままならぬ戦争の時代を潜り抜けてきたためではなかったろうか、という気がしてならない。父のとむらい合戦という意味でも、私はできるだけわがままをして、浮世のしがらみを断ち切って、自分勝手に生きなければならないと考えている」そして、今、私は、父の享年までも生きられなかった兄と、あれほど戦争を嫌った父のとむらい合戦の意味でも、わがままに、自由に、楽しく生きていかなければならないと思っている。

このあたり、著者の絶唱と言う感じ。

龍彦が異端の作家と言われ、実際に異様な生活を送っていたように思われているが、とんでもない話で、本人も「俺って実にノルマルだなあ」と言っていたという。ノーマルだからこそ異端に惹かれ、ノーマルだからこそ、女性がそばにいるとセックスをし、妊娠もさせ、そうなるとびっくりして、「子供が子供を作ってどうする」と急に分別顔で言いだす。1年あまりまえ、矢川澄子の「おにいちゃん」という澁澤龍彦回想記を読んだが、あと味がいかにも良くなかった。中絶を4回も強制されたと複数の著書で恨みがましく言っているが、1回や2回でなく4回といわれると、なんだか筋の通らぬ話に思えてくる。

おっと、この素晴らしい本に水を差すような、元妻のことなど書くのは本意ではなかった。からりと晴れた青空のような、終始上機嫌な子供のようだった兄の世界に暗い影を投げる元妻のねじ曲がった言い分を、妹や後妻が取り上げず、年表からも削除した心理は、非常にわかる。振られた女が新婚旅行の行く先々で顔を出す、アガサ・クリスティーの「ナイルに死す」じゃあるまいし……。矢川が72歳で自殺したのは、呪いを永遠に残したように見え、どうかと思う。

そういえば今から30年余前、ポール・ギャリコ「雪のひとひら」の矢川訳を読んだ時、女主人公が最後に自己を無にして全能の父のもとに吸収されていくのを至福ととらえているような末尾が、何だか大昔の女性みたいで、翻訳した矢川の価値観もしのばれ、イヤな後味が残ったのだけはハッキリ憶えている。

「本の世界」7-11-1

「細江英公の小さいカメラ」10-8-16

「ルートヴィヒ」15-4-30

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