映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
占い
2017年01月23日 / 雑
「あなた昔はそんなじゃなかったのにねえ」とある日母に言われた。そういえば親や親戚など周囲が圧倒的に理系だったことと関係があるのかないのか、記憶ではわが家で占い・迷信の類が話題になることはなかった。すべては家を出てからのことである。
星占いは20代後半。自分の血液型を知ったのはやっと30歳前後。バイオリズムは結婚後の30代前半。四柱推命は40代後半。
★隣人は占いが好き
四柱推命の易者に私を誘ったのは、同じアパートの私より16歳年長の女性で、隣に20年近く住んでおり何かと声を掛け合う仲だった。仕事はニットデザイナーで、TV出演したり、著書まで出すほどのキャリアの持ち主だったが、独身で、頼る相手を宗教に求め、創価学会、天理教、山岸会などをちょっとずつのぞき見し、最後はキリスト教に落ち着いた。一方で占いにも関心があるようだった。
★占いが当たるこわさ
「ぴあ」という映画情報誌に毎日の星占いが出ていて、あまりにもよく当たるので怖くなってそのページが開けず、ついには雑誌を買うのを止めたことがある。
★長姉は科学万能
5歳違いの長姉はなぜか極端に科学的合理的な思考をする人だ。
私が「プチ断食」で朝食を食べなかったりすると、「それは科学的なの?」と疑わし気な口調で聞いてくる。また、ユリ・ゲラーが来日し、彼女の小学生の長男はスプーン曲げに成功したが、姉に疑われて「本当にできたんだから!」と泣いて抗議したそうである。姉がこうなのは、終戦直後に小学校に入ったことと関係があるのだろうか?あるいは24歳で年長の理系の男性と結婚し幸せな人生を歩んだせいだろうか?
母にそういわれて、私は初めて、子供の時は絶えず反抗しながらも、親や教師や社会という強固な壁と屋根に雨風から守られていたのだなあと覚った。それらがない環境で一人暮らし、さらには結婚、しかも途上国での新婚生活という風雨にさらされた状況で、ついに占いの誘惑に陥ったのだろう。またたとえ結婚がうまくいかなくても、実家や母親に助けを求めることができれば、次姉のように占いと無縁で一生を送れる。5人兄弟では私ひとりがこの点で異色なのだ。むかし両親と兄弟・幼い甥姪など計12人で、富士を望む湖畔に泊ったことがあったが、私はちょうど菜食主義に凝りはじめたばかりで、朝食の卵を食べなかった。ただ黙って残すのではなく、注文に来たスタッフにわざわざいらないと宣言したので、角が立ったのだろう、弟が、ちょうど就職したてだったか、「空気を読まない」と言った類の批判をした。そのときの印象があまりにも鮮明だったせいだろうか、40年たっても、兄・兄嫁及び弟は私が今も厳格なベジタリアンかと思っている。夫と生活のおかげで今やいい加減な食生活なのだが。
これまで迷信家に女性が多いと言われたのは女性の人生が「ここに幸あり」の歌詞(「嵐も吹けば雨も降る 女の道よなぜ険し」)だからではないか。「しかし険しいのは男の道も一緒だ」と言われれば、「その通りだが、男女の違いは制限の多少つまり自力で切り開く条件があるかないかによるのだ」と答えるだろう。「女性の迷信好き」は女性の生まれながらの無知無能を意味するわけではない。などとボーヴォワールの主張のようなことは今や当り前すぎていわずもがなだが。
→「母と娘」15-9-2
→「血液型」14-8-12
→「22歳」8-12-23
→「情報誌『ぴあ』終刊」11-7-27
星占いは20代後半。自分の血液型を知ったのはやっと30歳前後。バイオリズムは結婚後の30代前半。四柱推命は40代後半。
★隣人は占いが好き
四柱推命の易者に私を誘ったのは、同じアパートの私より16歳年長の女性で、隣に20年近く住んでおり何かと声を掛け合う仲だった。仕事はニットデザイナーで、TV出演したり、著書まで出すほどのキャリアの持ち主だったが、独身で、頼る相手を宗教に求め、創価学会、天理教、山岸会などをちょっとずつのぞき見し、最後はキリスト教に落ち着いた。一方で占いにも関心があるようだった。
★占いが当たるこわさ
「ぴあ」という映画情報誌に毎日の星占いが出ていて、あまりにもよく当たるので怖くなってそのページが開けず、ついには雑誌を買うのを止めたことがある。
★長姉は科学万能
5歳違いの長姉はなぜか極端に科学的合理的な思考をする人だ。
私が「プチ断食」で朝食を食べなかったりすると、「それは科学的なの?」と疑わし気な口調で聞いてくる。また、ユリ・ゲラーが来日し、彼女の小学生の長男はスプーン曲げに成功したが、姉に疑われて「本当にできたんだから!」と泣いて抗議したそうである。姉がこうなのは、終戦直後に小学校に入ったことと関係があるのだろうか?あるいは24歳で年長の理系の男性と結婚し幸せな人生を歩んだせいだろうか?
母にそういわれて、私は初めて、子供の時は絶えず反抗しながらも、親や教師や社会という強固な壁と屋根に雨風から守られていたのだなあと覚った。それらがない環境で一人暮らし、さらには結婚、しかも途上国での新婚生活という風雨にさらされた状況で、ついに占いの誘惑に陥ったのだろう。またたとえ結婚がうまくいかなくても、実家や母親に助けを求めることができれば、次姉のように占いと無縁で一生を送れる。5人兄弟では私ひとりがこの点で異色なのだ。むかし両親と兄弟・幼い甥姪など計12人で、富士を望む湖畔に泊ったことがあったが、私はちょうど菜食主義に凝りはじめたばかりで、朝食の卵を食べなかった。ただ黙って残すのではなく、注文に来たスタッフにわざわざいらないと宣言したので、角が立ったのだろう、弟が、ちょうど就職したてだったか、「空気を読まない」と言った類の批判をした。そのときの印象があまりにも鮮明だったせいだろうか、40年たっても、兄・兄嫁及び弟は私が今も厳格なベジタリアンかと思っている。夫と生活のおかげで今やいい加減な食生活なのだが。
これまで迷信家に女性が多いと言われたのは女性の人生が「ここに幸あり」の歌詞(「嵐も吹けば雨も降る 女の道よなぜ険し」)だからではないか。「しかし険しいのは男の道も一緒だ」と言われれば、「その通りだが、男女の違いは制限の多少つまり自力で切り開く条件があるかないかによるのだ」と答えるだろう。「女性の迷信好き」は女性の生まれながらの無知無能を意味するわけではない。などとボーヴォワールの主張のようなことは今や当り前すぎていわずもがなだが。
→「母と娘」15-9-2
→「血液型」14-8-12
→「22歳」8-12-23
→「情報誌『ぴあ』終刊」11-7-27
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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私は占いは信じていないので、雑誌を読むときも占い欄を見ることはまずないです。
ちょっとした性格診断の類?は、ちょっとした気晴らしにすることもありますが...
特に何かと血液型の話を持ち出す人を見ると腹が立ち
「それって科学的根拠ないよね?」と言いたくてたまらないのですが
言えずにイライラしてしまう小心者です。^^;
そんな私も以前、あるジンクスにとらわれていた時期があります。
人間てつくづく弱いものだと思います。^^
わたしも占いとはタイトルを付けましたが、純粋な占いというより、何らかの科学的根拠を持つものを採用する方です。つまり、そこが人間としての弱さなのか……。だって、科学的なるものがどこまで正しいか、科学も一種の信仰だとも思えますしね。暇なときに私の「血液型」の記事を一度読んでみてください!ほら、イライラしないで!!