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映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

2020年 日本 108分 鑑賞 6月22日@TOHOシネマズ上大岡
監督 豊島圭介 出演 三島由紀夫 芥正彦 木村修 内田樹 平野啓一郎 瀬戸内寂聴

若き日への郷愁から、ずっと見たかったこの映画をようやく見ることが出来た。が、今や10時と18時の1日2回上映となっている。しかたなく午前の回に行ったら客はたった10名(定員198)だった。

これはTBSが記録に残したドキュメンタリーである。
ところは東大駒場900番教室。時は1969年5月13日。安田講堂陥落のすこし後だ。会場には学生1000人とマスコミが詰めかけている。
 ところで見はじめて戸惑ったのは、学生が話しているのは日本語だとはわかったが、内容がほとんどわからないことであたかも隠語を聞かされるような感じ。当時の東大生といえば今よりエリートだと思うが、そのエリート意識そのまま、仲間にしか通じない言葉でしゃべっていたと見える。もっともこの会場の外はすべて民青(共産党系)が支配していたそうだ。私の経験では、彼らはあれこれ批判はされるが、少なくともしゃべるときは分りやすい言葉を使っていた。それに比べると、これでは学生大衆に支持されず、しょせん運動は失敗に終わる運命だったと感じた。あるいはそれも初めから承知の上だったのか。というわけで当時の録画だけ見せられたらポカーンと108分暗闇の中に座っているところだったが、さいわい解説者(内田樹とか平野啓一郎とか)が登場し、いくらか理解できた。

また芥正彦という主催者側の学生の言うことは多少はわかるような気がした。彼は赤ん坊を連れて会場に来ていたが、これは彼の長女だったらしい。学生結婚をした妻がその日仕事で出かけており、彼が子供の面倒を見る当番であったとか。場の雰囲気が、殺伐とならないように子連れできたということもあったろう。芸術家の彼は同じく芸術家としての三島氏と対峙していたようだ。三島がペンを捨て剣に走ったことを指して「敗退した」と言ったのではないか。また芥氏は73歳の現在も芸術活動を続けているが三島があのような最期を遂げたことへの感想として「よかった」と言っている。三島の人生は自分を主役とした劇を演じているようなもので、劇の幕切れとしては、あのように死ぬ選択肢しか残されていなかった、というわけだ。これは南北戦争のあと、南部の大地主アシュレーが、新時代に適応できず、腑抜けのようになっているのを「彼は死んだ方がよい、死ぬしかない」と隣人に評されたのを思い出させる。もし三島が徴兵検査に合格してさえいたら、何も戦後になって若者を集めて軍隊を作る必要はなかったかもしれない。三島由紀夫が死んだ日、鹿児島のうちの近所の井戸端会議では「あの人は苦労が足りなかったから」と言っていたが、こういう巷の声は意外と当たっていると思う。軍隊生活を経験し軍隊の現実に触れることで彼は心の整理がつき、別の戦後を生きられただろう。自殺の原因の一つは創作活動に行き詰まったこと、もうひとつは(彼はゲイだったので)世間並みにという動機でした結婚が意外にも重荷になって耐えられなくなった、こちらの原因が大きいと思う。切腹は相当な苦痛だったかもしれないが、仮面をかぶって結婚を続ける(しかも延々老人になるまで)苦痛よりまだましだったのだろう。彼の初期の「仮面の告白」は、私の一番好きな作品である。かれは「仮面の告白」一作で文学者として後世に記憶されただろう。あのなかの主人公が憧れる””近江”になろうとしたのが、そもそも彼の誤りだった。

そしてこのドキュメンタリーには、見事なくらい女の影がない。若い学生と盾の会の会員とに囲まれて彼は終始ご機嫌だ。渡辺みえこ「女のいない死の楽園」という三島由紀夫伝のタイトルを思い出した。

→「中井英夫戦中日記」 10-8-9
→「日大全共闘」   14-7-25
→「細江英公の小さいカメラ」 10-8-16
→「駅前の本屋」   9-8-1
→「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」21-3-16








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