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母と娘


40代半ばごろ、良く当るという四柱推命の占い師に見てもらった。

「お母さんは何の仕事をしておられますか。お母さんが生きている限りあなたは芽が出ないでしょう」

若い頃は教師をしていた母は、記憶にある限りは専業主婦だったが、エネルギッシュで、存在感は巨大だった。

そのときから20数年、101歳で亡くなり、キリスト教の通夜・葬儀が行われた。
賛美歌を歌うとき、弟によると私の声が他を圧して響いていたという。そういえば、いままではずっと、のどが締め付けられているかのように声が出なかったのに、伸び伸びと声が出ていたのに気が付いた。
母死亡の報せを聞いたとたん、心が軽くなり肩こり、便秘がとれて体重も減った。
占いはまさに正しかった、1000㎞も離れて住んでおり、ずっと顔を見ていなかったのに、歩けず寝床に横たわり生きているだけで、彼女はこれほどの影響をわたしに与えていた。

もっとも5人兄弟の中で、これほど彼女にこだわっているのは私だけのようである。

平林たい子「鬼子母神」が、思い出される。(記憶に頼って書いている)

「杭に縛られた動物が、口が届く限りの周りの草を食べつくす」ように、環境の制約を受けた女性が自分のエネルギーを近くのものにぶつける。私は、たまたま母の人生の一時期、杭の近くの草であったことが、一種の原体験となり、今に至ったような気がする。

原文では
「つないだ綱の長さが許す範囲の草は、毒草といはず薬草といはず食って食って成長しようとする、動物のやうな生活力……あたりが裸になるほど食い荒らされるのを恐れる者も綱の短さには案外気が付いていない……」

「不思議なる人、我が母」11‐2‐23
「お喋りな母」17-12-26
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