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主治医の急死

去年11月に、もう1年半も義母(満95才)に会っていないと書いたけれど、
しばらくして、ある事情でその記録がとだえてしまった。

突然、まだ若い(70歳にもならない)義母の主治医が亡くなったのだ。
このごろ少し年を取られたとは感じていたが、前日まで診療しておられたのに。
当然、後の準備が何もしてなく、残された職員は右往左往。

困ったことに、亡くなった当日に義母の薬が切れるのである。
1日も薬なしでは過ごせないので、何とかしてくれないかと看護婦に聞いてみたが、
法律で医師以外には処方できないらしい。
やむなく、紹介してもらった医療機関に、義母を連れて行くことになった。

それで、1年と7か月ぶりに私が彼女と会う機会ができた。
車椅子に移るのを手伝ったが、足の先が動かない。
義母は喪の?黒いコートを着て、一見変わりなく見える。
しかしめっきり口数は減っていた。
歩けない義母を連れ出すのは大変なので、まとめて投薬することを承知してもらった。

60代の若さで病没するとは、医師は激務であるということだろうが
人間いかに忙しくても、いや忙しければなおさら「死ぬ準備」は必要であろう。

私の父は80歳の時、自転車で往診に行く途中転んで骨折し即入院、1か月後に亡くなった。
その話をすると、義弟が「それで、患者はどうなりましたか」
悔やみの言葉はなく、この質問が出たのには、期待外れで、少しムッとしたのだが、
患者の身になれば当然であることに今回、思い至った。

→「デイケアの春祭り」14-6-2
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (桃すけ)
2016-03-08 20:11:29
大変な状況でしたね。私はお医者さんて元気だなあ、と思っていました。何か特別の薬でも飲んでいるのでは、なんて・・。50代からなにかと病院には通っていて、主治医も何人か変わりましたが、一度も病気で休診なんてなかったもの。お義母さまの車いすのこと、身につまされました。車いすに乗っていた者として。右足を固定されたまま、左足にぐっと力を入れて乗り込むわけですが、お手洗いも、歯を磨くのも、シャワーを浴びるのも、いちいち看護師さんを呼んでという不便さ、不自由さ、2度と経験したくないと思っています。お義母さまの場合はそれ以上ですものね。介護する側、される側の大変さ、容易に想像できます。私は、母の介護は20年前に終わりましたが、自分の番になることを考えると怖いわ。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2016-03-09 13:59:58
桃すけさま
>お医者さんて元気だなあ、何か特別の薬でも飲んでいるのでは
には笑ってしまいました。医師は麻薬もすぐ手に入りますしね。多分、患者には自分が必要なのだという実感が、何よりの薬なのだと思います。だから、患者から信頼されない、感謝されないどころか逆恨みされることが何よりつらいのでしょう。ところで入院中車椅子で、いちいち看護婦さんに頼る生活、大変でしたね。私そうなるともきっと萎縮してしまいそうです。現に同居人の車に頼る生活なので分ります。また、頼りにしないとすねるしね……。
 
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