小皇帝

日本が根元から揺いでいる時に、こんな文を書いてもいいものかと思ったりするが、死と危険が満ちている時、人間は意外な反応をするもので、その一例として見て頂きたいと思う。（今後この前置きは省略する）

先日、地震２日目に、映画会に行くと盛況だったと書いたが、そのときに起きた事件を書く。その前に。

今をさる１０数年前、成田往きの空港バスに乗り込んだわたし、空席に見えたので行って見たら、２人がけの席に小さい男子がちょこんと座っていて「ここはふさがっている」と断固相席を拒否された。意外な反応にしばし茫然としたが、とりあえず別の席に座り、空港への道々ずっと考えた末、これぞかの有名な「小皇帝」に違いないという結論に達した。日本人の男子なら、多分、母親と一緒に座っているだろうと思ったからだ。あくまで推測であるので、国籍は確かではないが。

　「小皇帝」とは、中国で、1979年からの「ひとりっ子政策」の結果、両親と双方の祖父母、計6人から唯一の後継者として、掌中の珠の如くに、大切に甘やかされて育ち、手に負えない暴君になってしまった男の子を差す。（女の子の場合は「小皇后」というそうだ）
彼にとっては周りの人間は全て、自分に仕えるために存在するのである。長幼の序という儒教倫理もレディーファーストと言う西欧のマナーも年長者をいたわるという人間的な態度も、いや社会の一員の自覚も一切関係ない。皇帝はあらゆる者の上に君臨する第一人者なのだから。

しかし、あれから10数年、今や20代に達した小皇帝がこの松江に現われるとは夢にも思わなかった。さる土曜日、県民会館で、最後列の壁沿いの4人席に一人で座っているうら若き男子がいた。私は、最初座った中ほどの席で隣の人がしきりに咳をするので、移ることにした。後方に歩いていったら、ちょうど良いところに空席があると思い、一応の礼儀として、目で会釈して、座ろうとすると、彼が「人が来ますから」というではないか。彼は、三つの席をしめており、私が一番端に座ってもなんら支障はないはずだ。それなのに、どうしても承知しないのだ。果して彼が言うとおり、誰か来るのか、見てやろうと、私はその直ぐ傍の床の上、段差に座った。映画の終りまでとうとうだれも来ない。終ってから、私は彼の前に立ち止まり顔をジーっと見つめてやった。すると彼もジーっとこちらを見つめ返す。つばの狭い帽子を被って華奢な体つきの男だ。そのあと彼が会館内のパン屋経営のカフェでパンを選んでいるのに出くわした。これを読んで思い当たったあなた、それは誤解で、やむを得ぬ事情があったとか、私の考えが間違っているとか、言い分があれば聞く耳はあるので、いつでも下のコメント欄をご利用のほど。

私は、相席拒否という同じ情況にあって、おのずと空港バスの子どもを思い出したわけだ。どちらも、自分は最高位で、あらゆる人間、とくに年輩の女性と言えば自分に奉仕するものと思っている。或いは、この映画のヒロインのように、か弱い自分を襲って来るとでも思ったのだろうか？その行動と言い、顔、体つきと言い、どこにも逞しさがなく、まるで女性のようであった。イヤ、それを言っては女性に失礼か。むしろ、電車の中で股を開いて座るのと同じで、縄張り意識が強いと言う点では最も男性的な行動かも知れない。

これも、私が礼儀正しく、向うの許しを得るような態度にでたのがいけなかったのだろうか。今度からは、顔も見ず、ドスンと座ってやろうかしら。小皇帝に対してはそれより強い皇太后になるほかない。