goo

「野蛮なクルマ社会」

1993 北斗出版 
著者 杉田聡 
STICビルにて

この本を読んだのは3ヶ月前になるが、印象が強すぎて感想が書けなかった。
出版されてすでに20年近くなるが、死者数も発生件数も減りつつあるとはいえ、野蛮な社会という本質は相変わらず、イヤ悪化する一方ではなかろうか。表紙は、狭い路地裏に轟音を立てて機関車が乗り込んでいると言う、見るも恐ろしい図だが、これはそのまま、現在の車の横行の戯画である。

最近も通学途中の小学生の列にクルマが突っ込み、京都や大阪の繁華街で車が暴走している。クルマが増えるためにバスや電車の本数が減り、クルマのない人は外出もままならなくなり、たまに外に出ればひき殺される。折角「危険運転致死傷罪」が制定されても、なぜか適用されない。人の命よりも、メーカーや運転手を保護する方が大事なのか。

このような本が書かれても読むのは著者と同じ考えを持つ人だけ。
夏目漱石は日露戦争の勝利で国中が沸いていた頃「いずれ日本は滅びる」と「三四郎」で予言している。苦沙弥先生は「とにかくこの勢いで文明が進んで行ったひにゃぼくは生きてるのはいやだ」と言っているが、私もそう思う。しかし旧約聖書の時代からいくら正しいことを言っても、預言者は人々から無視されるものと決まっている。
松江の細い道を、増える一方のクルマが疾走する。

明石で花火見物の群集が折り重なって死者が出たのは何年前だったろう。あの時、狭い陸橋に次々と詰め掛けた群集を愚かしいと見る人も、日々続々と車を買い、車社会に参入する自分が同じことをしているとは思わない。

戦後の食料難に、闇米を買わずに餓死した判事の真似しろとは言わないが、目の前の快適さにおぼれて、少しの我慢で生活を変えることを望まぬ人々は、1945年8月15日が来る直前まで、せっせとバケツリレーや竹槍の訓練に励んでいた父祖を笑えないだろう。

一方明るい兆もある。ロンドンでは、町の中心部へのクルマの乗り入れに渋滞料を課し、ドイツのフライブルグ市も路面電車を採用してクルマを規制、日本の富山市でも…、いくつかの見本はあるので、産業界の便宜だけでない広い視野を持って取り組めばできるだろう。

とはいえ、外出の片道にクルマに乗り、次の誕生日には免許を更新するだろう(どうしてもKに逆らえない)私だから、あまり大きい口は叩けないけれど。

これについての私の立場は徐々に変ってきている。

→映画「不都合な真実」2007-1-30
→リサイクル  2007-10-17
→3つの注意  2009-7-23
→歩行者に光が 2010-04-03
→返上したい  2011-06-23
→運転の練習を…2011-08-22
→やらせ厳禁  2011-8-21



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 梅雨の楽しみ 二宮金次郎 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。