映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
仏壇じまい 墓じまい
義母の死後、2週間して、仏壇と墓をしまった。
この仏壇と墓は、義母が夫の死後に作った。ところが、4人のうち墓守としてあてにされていた子供が、当時まだ市内に残っていたのだが、松江を出ざるを得ぬことになり、あい前後して義母が認知症になり・・・・。私ら2人が、義母の死とともに去れば、もうここには誰も住まないのだ。いずれ墓は始末して永代供養にと、折に触れその意向を話していたので、住職も快く応じてくれた。
ところで先代住職は、法事の後の宴会に必ず出てお酒と食事を楽しみつつ、世間話や色話に興ずるので、面白いという評判があった。言い換えれば俗人的である。
その二代目となると、様子が一変して酒食の席には出ないし金銭面もはっきりしている。(豊かでない我家にはありがたい。)
仏壇じまいは、仏壇のある座敷に私とKふたりが座り、お坊さんがお経を詠みだしたが、それはいままで聞いたこともない、激越な調子のお経であった。このたとえはどうかと思うが「セロ弾きのゴーシュ」の「インドの虎狩り」を連想させるのである。猫が苦しがって目や舌から火花を出し、くるくる回って扉にぶつかった挙句に逃げ出したというチェロの曲である。
終ってお茶を出しながらKが「珍しいお経を」とお礼をいうと、お坊さんはよくぞ言ってくれたとばかり「これは私が百日の荒行で」覚えたのだとか言われた。「百日の荒行」という言葉にわたしの好奇心のスイッチが入り、目を輝かし膝を乗り出してどこでどういう風にするのかとたずねてみた。坊さんは千葉県にあるその道場に若い時とその後と2回も行っているのだそうだ。その修行の厳しさは「世界3大荒行」に数えられ、死者が出ることもあるので事前に精密な検査が(胃カメラを含む)行われるという。期間中は2時に起きて、3時間おきに7回水をかぶり、終日お経を唱え続け、食事は日に2回うすいおかゆだけだそうだ。
修行の様子をにこやかに語ってくださったが、1度でもそんな経験をしたら、俗人とだらだら飲み食いする気にはなるまい。無欲・清潔な新世代の僧侶の出現は好もしいと思った。
« 「ハイヒール... | あわてて更新 » |
ところで「寂しくなります」とは、ご自分の介護と比べてとのことでしょうか?後悔が残るとか?それは考えなくていいと思いますよ。人それぞれの、特有の事情がありますし、関係性も千差万別です。そして人が死ぬとどんな場合でも「もっとあの人にしてあげることがあったのでは}という思いはついて回ると聞きます。そういう時かける言葉は「あなたは十分にやってあげたのよ」ではないでしょうか。父の死んだときの友達の言葉ですが
さぞ一生懸命、嫁としてのつとめを果たされたのでしょうね。「二度としたくない」とは。私は、ただ主任介護人(つれあい)のそばで暮らしていただけで、全然、実際にはやっていなかったので、辛いもしんどいもそういう感想はありませんが、困ったことは、この11年で自分も彼も年を取ってしまったことだけです。歳月は人を待たずです。しかし今日はこれから先で一番若い日だという心構えで、元気を出して活きていこうと思います。オリンピックと万博を楽しみに。
叔母は私の叔父(父の弟)の後妻です。仲の良かった叔父夫婦でしたが、叔母が60歳で亡くなり、今の叔母と結婚したわけです。元々、叔父夫婦には子供がいません。再婚した叔母は結婚歴はなく子供はいません。
お墓には、92歳で亡くなった叔父と60歳で亡くなった叔母が入っていて、仏壇もそうです。子供がいないので、私と、再婚した叔母でお墓参りをしていたのですが、叔母も80代半ば。だんだん難しくなってきました。
考えるのは、叔母にもしものことがあったらどうしたらいいのかということです。叔母に「どうしますか」とは
言いにくく、でも考えておかなくてはいけないことだし
・・・。思い切って切り出そうかとおもっているところです。いつかは起きることですから。
コメントありがとうございます。この話題になると「うちもそろそろ」という反応によく出合います。
「どうしますか」とは言いにくく、でも考えておかなくてはいけないことだし…
全くそうですよね。死について会話ができないのは、センチメンタルな日本人独特のことかもしれません。ここは本人が、周りに気を使わせないように自分から言い出すべきとは思いますが。
その点。叔父様は幸せでしたねえ、死後のことを考えなくても安心して逝けたのですから。それだけ、生前に濃密な人間関係が作れていたということでしょうが。
世の中の女性はその点、割が悪い。大抵配偶者より長生きするから、夫の葬儀は盛大にしても、自分は貧しく暮らし、ひっそりと世を去ることになります。見方によれば、女性の方が生活力というか、生命力があり、他人をケアする甲斐性があるわけで、一生を見ると損というより、得かもしれません。
わたしたちは死後は散骨と決めています。彼は太平洋と言伊(日本海は地元なので遠慮しているのかもしれません)私は樹木葬もいいかなと思っています。
それを私と、亡くなった叔母の妹を呼んで知らせていました。いつまでも名前の変わらない私をかわいがってくれましたので、叔父の意向を尊重しました。再婚した叔母さんは
すでに2人おさまっているお墓には入りにくいようです。私は3人入ってもなんの問題もないと思っているのですが。
いずれにしても、そのあとのお墓は処分しないと見る人はいないわけです。そのことを決めておかないと、とやきもきしているのですが・・・。私自身、こういうことを考えるのは不得手ですが、叔父さんのことわ考えたらほっておけなくて。
散骨ですか。私も樹木葬がいいような気がするわ。でも、私は両親のお墓に入ることになるでしょう。
例のアドバイスの叔父様だったのですね。それにしてもご両親の墓に入れるとは良いですね。私の両親は、宮崎に墓地があり、子供は札幌・東京・大阪・島根・鹿児島とすべて遠方に住んでいるので管理はおかねを払ってひとに頼んでいます。そのうち処分もしなければ。