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八甲田山死の彷徨

著者 新田次郎  新潮文庫 初出1971年

日露戦争前夜の1902(明治35)年1月下旬、陸軍の八甲田山中訓練で青森5隊の199名が凍死した事件を、気象学を修め登山家である新田次郎氏が小説化したもの。

青森5隊と対照的に、弘前31隊は同じコースを逆から歩き、一人の犠牲者も出していない。その二つを比較して、どこに問題があったかを探っている。

映画(見ていないが)で高倉健が扮した第31隊の徳島大尉が小説でも非常に魅力的に描かれている。彼は編成に37名の少数精鋭主義をとった。すべて志願者で、兵卒はわずか5名。そして第31隊は青森県、第5隊は岩手と宮城の出身者が主だったが、雪のこわさを熟知しているかどうかの問題であった。

もう一つ、第5隊の神田大尉の背景だ。当時一般的に将校は士族出身者が士官学校を経てなる中で、平民出身で士官学校を出ていない神田大尉は、ち密で優秀ではあるが、周囲に気を使うのが慣い性となったか、自分の意志を押し通す力が弱かった。上官の山田少佐が大事な時に頭越しに出した命令を覆せなかったことが大惨事につながったという。

伊藤薫著「八甲田山消された真実」が話題になっている。YouTubeで見ると、彼はもと自衛官、八甲田山の訓練も経験している。しかも高卒であり高学歴者に囲まれた心境は理解できるそうだ。ただ、神田ほどはエリートでないので理不尽な命令には反抗しうる。新田次郎の感動的な人間群をことごとく否定するような小説を書いたのは、彼の憤懣を抑えきれぬ野性のあらわれか。「とにかく誰もいい人が出てこない」と読者に言われて、こまった表情をしていた。

新田次郎の妻の藤原てい著「流れる星は生きている」によると、戦争直後の外地で、男たちが連行され、家族は後に残された。妻は生後まもない赤ん坊を含む3児を抱え敵の襲撃におびえつつやっとの思いで一人も欠けずに内地に帰還した。が、本人は何年か病床に臥し、死を覚悟したそうだ。遺書のつもりで上記を書いたのだが、この有能なリーダー振りを、作者はちらと思い浮かべたのではなかろうか。作中にも若妻が雪中の案内を見事にし遂げる逸話がある。

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