Vagilla 新奇一転

世の中の変わったことを考えていこう。

中国製のズボンの中から、「SOS、助けて」のメモとIDカード、刑務所の囚人が助けを求めている中国の収容所

2014年06月29日 | Diary
BBCニュースによると、アイルランドの婦人が買ったジーンズの中に写真のようなメモがあった。以下、感想である。
メモには中国湖北嚢南監獄と読める。
1日15時間以上働かされていると、書いてある。人権問題かもしれないが、これは3年前に買ったズボンの裏地に縫い付けてあった。
したがって、3年前のものである。これを書いた当人がまだ、生存しているのか不明であるが、中国政府は調べているとのことである。


中国の問題は中国共産党の独裁を守るためであれば、人間の人権、個人の自由、民主主義はどうでもよいという態度である。
戦前の大日本帝国より、始末の悪いことになっている。

昔の日本でも政権交代は可能であり、実際に行われている。昭和に入って言論統制が厳しくなったのは、現在の中国と同じであろう。

しかし、昔の日本の中枢が考えていたのは日本の国がどうなるかということであった。
今の中国の個人的利益で動いている人間達とは違っていた。
当時から中国は不安定な政府しかなく、満州帝国を作ってロシアに対する緩衝地帯をおいても、中国本体自身が米英独ロシアなどに侵食され、日本も植民地になるかどうかの瀬戸際であった。
英米欧、ロシアの植民地政策、領土拡大政策が日本を窮地に陥れた。日本はどうしても、植民地になること派できなかった。
19世紀~20世紀の初頭で、すでに、その当時、東南アジア、フィリッピン、ジャワ、インドなどの国国は植民地化され、朝鮮李王朝も欧米大国または中国に併合されそうになり、事大主義のため、官僚が右往左往し、誰も決断できなかった。日本から見ると、ロシアが朝鮮半島を植民地化して抑えれば、日本もほぼ、植民地化される。当時の日本とロシアの戦力の違いはアジア人と白人の違いという大きな壁があった。白人の武器はアジアの小国を圧倒していたため、直接対決しては絶対に敗北であろうという、欧米各国の読みであった。
日清戦争は、1894年(明治27年)7月(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争である。日露戦争(1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日))は、大日本帝国とロシア帝国[7]との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部を主戦場として発生した戦争である。日本海海戦で日本がロシアに勝利したことで、日本の威信は世界に高まった。日本はその後、1917年の世界連盟の会合で日本は人種による差別を止めよという条約を提案して、多数決では多数であったが、米国の大統領に却下されている。
これ自身が陰謀だという話もあるが。
日本は三国志の倭の国(3世紀)から史実に出て、現在まで継続している王家がある。6世紀ころには自らを「日出ずるところの天子」と称し、中国の「日没するところの天子」へ親書を送っている。綿々と続く日本という国をアジア近隣諸国のような植民地になることは断固として避けたかった。

しかし、現在の中国人がしていることは国を救うということでない。中国共産党が独裁で得ている利権に群がる人間が自分たちの利益を考えて行動しているだけである。

昔の中国の三国志演義にあるように、ある人間が帝王になるとすぐに、官僚から腐敗して行く官僚や軍隊の姿はまったく同じように見える。かれらは内部逃走に明け暮れ、人民を顧みなかった。中国の帝王は、家系とは関係なく、力さえあれば、なれたようである。しかし、その結果、内部分裂し、欧米列国に力で負けた途端に崩壊した。中国共産党も独裁を止めれば、すぐに崩壊する。共産主義であるのに、資本主義より、格差が大きいとは本末転倒ではないだろうか。共産党の上部では何百億円という蓄財があり、いろいろなところから、収賄しているという。

もう中国には、玄徳、関羽、張飛、孔明は出てこないのか。玄徳、孔明も人民のための国を夢見て、戦ったが、夢半ばで終わった。

悲しい国である。

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