吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

木を伐る

2010年05月12日 | 思うこと
先日、知り合いの敷地の木を伐りました。

知り合いから、敷地の木を伐って欲しいとの連絡を受けていたので、伐りに行きました。
報酬はその木です、薪にするつもりです。
そのお宅の敷地には大きな木は無かったと思ったのでしたが、意外と大きい木でした。
隣接する土地が売れたため、その土地に大きく張り出すその木を伐って欲しいと不動産屋に言われたそうです。

根元で二つに分かれた桑の木です。
高さ5メートル程ですが、枝が横に広がっていて、その下にはいくつか植木があるので、一気に伐り倒すわけにはいきません。
こういう場合、木に登って適宜枝を落としてから最後に倒すことになります。

大した木でないからといって油断は禁物です。
恐らく、このくらいのそこそこの大きさの木の伐採は事故率が高いのではないかと思います。
もし大木なら大抵は最初から手出しを諦めるでしょうから。
田舎では、チェーンソーをホッケーのマスクをかぶった殺人鬼でなくてもかなりの人が持っています。
誰でも伐るだけなら出来ます。
わずか数キロの枝でも落下のエネルギーに長いもの特有のモーメントが加わると、ビッグマウスのボクサーのパンチに勝る威力を発揮する可能性もあるのです。
その辺を良く考えて安全に作業する事が大事なのです。

オトコがヤケドするのは、大抵、身近なところで気楽に手を出しちゃった場合です。
たとえば、会社のバイトの若いおとなしそうな子とかね。
それはつまり「このくらいなら大丈夫だろう」と現実と相手をアマく見ているのです。
いつでもどんな場合でも相手に対する尊敬と畏れを忘れてはならないのです。
畏敬の念あるところに油断はありません。
我々、焚き火愛好家はたとえ小さな火であっても畏敬の念と愛情を忘れません。
ゆえにヤケドなしです!
ただ、酔っぱらってガケから落ちたヤツはいますけど(はいっ私です)。

まずは木のまわりを回りつつ、枝の落とし方をイメージします。
「済まぬ。故あって貴殿の命を頂く」

木に登って手ノコとチェーンソーを使い分けながら枝を落とします。
こういう仕事のプロを空師(そらし)といいます。
枝打ちの他、一気に伐り倒せない場所(建物の近くなど)で、木に登って少しずつ伐って落としていくのです。最近はクレーンで吊ります。
単なる伐採から、高度になると木の商品価値を考えながら伐ることもあるのです。
まあ、僕はとりあえずその下のドレミってとこかな(ソ・ラ・シの下、ついて来いよ!)。

すべて伐り倒して、今回は運び出せないので伐った木を一か所に集めて整頓しておきます。
この整頓こそが実は一番面倒な作業だったりします。

田舎暮らしでは木を伐り倒すという行為はわりと日常的です。
だから街の人が「倒された木のたたり」だとか言って騒ぐのはまた奇異に感じます。
畏敬の念も過剰になると「キレイゴト」で偽善的です。
僕やあなたのために、誰かが代わりに見えないところでとんでもない量の木が今日も伐られているのです。
自らの手でそれを行うことも時には必要だと思います。木の怨みも悲しみも受け止めて。

僕も木工なんてやっているわけですが、バチ当たりな仕事だと思いますよ。
木工は基本的に切削加工なわけです。何かを造るのには本当に多くを切り捨てなきゃ出来ないのです。

とにかく無事作業終了!ありがとう!

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