今朝、対面朗読を始めようとしていたときに、長崎の姉から電話。
すぐにああ、そうか。と思いました。
「昨日から食べ物を受付なっくなって、朝、息をしてないと看護師さんが気づいたらしいの」
「もう意識も無くなってたし、苦しんだ様子もなかった」
「コロナのこともあるので、病院からも誰か呼んだりしないようにって言われてたから・・・」
耳も聞こえなくなってから30年くらい。認知症が進んでしまって意思疎通が取れなくなって16年。
ただ、ニコニコと幸せそうな表情で病院の人たちに世話してもらっていました。
写真で見せてもらっただけですが。
姉はそれでも見舞いに行って、通じない話を根気よくしてくれて、頭が上がりません。
長女としての使命感だけではなく、とにかく目の前の母がニコニコしていてくれるのが嬉しいらしくて、ほんとにまめに面倒を見てくれていました。
私はというと、母の認知が始まって真っ先に忘れられた存在が私だったということもあって、長崎は遠過ぎることを理由にして、一回だけ病院に行っただけでした。
そして、やっとこれで父と弟のところにいけたんだなぁ、良かったなぁという気持ちでした。
全く会わなくなってから20年以上。
長崎で暮らしてると思えばそうなるし。
福岡で弟と一緒に暮らしてると思えば私の中ではそうなるから。
悲しいという感情は全く起きませんでした。
姉に対しては感謝しかありません。
心からお疲れ様でしたと何度も言うだけでした。
弟に対しては、姉は仲違いをしていて、連絡は全て私と取っていたのでおあいこです。
姉がそう言ってくれました。「弟のことは全部あなたに押し付けたから」って。
押し付けられたなんて思ってないけど、多分私が母を見舞いにも行かなかったことを気にしないようにと、そんな風に言ってくれたんでしょう。
なんだかんだ言っても、最後はなんとなく丸く収まって静かな最後でよかったなと思いました。
姉も末っ子(甥)が独身で一緒に暮らしているようなので、寂しくなるかも知れないけど大丈夫でしょう。
甥っ子が自分でそう言っていました。とってもひょうきんな明るい子でよかった。
民医連関係の仕事をしてるらしいし。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます