昨日、探し物をしていましたら、母の昔の句集のゲラずりが出てきました。
1冊目は85歳の時に近親者や友人に配布するためにちょっと凝って和綴にしたものです。
いい句を自選したものですが、手帳にはまだたくさんの句がありましたのでバラバラにならないようにパソコンに入力しておきました。
1冊目が「日向ぼっこ」だったので2冊目は「雨宿り」と娘がタイトルをつけておきました。
開くと扉にいきなりこんな句が、、、
途端にこみあげるものがあり、多くは読めずすぐ閉じました。
今日、またそれを開きました。
90歳近い頃なので死に関する「黄泉路」「歎異抄」などの語や、「根無草」など悲しすぎる言葉も出てきます。
中には、あぁー、あのときの句だなと想像できるものも多く記録のように遡れます。
83歳でパリに連れて行き、地方にもよく連れ出しました。
どこかに入選したという句は
ー初暦昨日を去年(こぞ)と呼ぶ因果
ーネックレス外して今日の暑を逃る(のがる)
家にいてもネックレスは年中服に合わせてしていた姿を思い出します。
80代後半からの心境は
ー余生ただ唯ただあとはケセラセラ
また、こんな句もあります。
ー嘘ひとつ胸にたたみて青木の芽ー
嘘ひとつ、、、??
謎まで残してくれました。
母とは出来るだけ向き合ってきたつもりですが、多忙な時期ゆえ、十分に意を汲み取ることは出来なかったと後悔しています。
温かいとき、薄情なとき、いろいろありました。
「私は十分し尽くした。思い残すことはない」と言い切れる人はいるのでしょうか。
もう少し、もうちょっと、、、という気持ちをずっと引きずりながらいつまでも偲んでいます。
老いた私をみたら驚くでしょうね、、。