ただ感じること なんとなく解ること
人それぞれに いろいろあると思います
私の子供時代 その感覚に従い それを言葉にすると
家族から なんの根拠があって? とか
じゃあ解るように説明して とか
いいかげんなこと言わないで ..etc
といった感じで すごく責められているような気持ちになり
自分が間違っているのかな? なんて・・・
そして 自分の感覚にまったく自信が持てなくなり
みんなに合わせよう 無難にやろう 目立たないようにしようと・・・がんばった
普通になりたかった でも普通ってわからなくて
いつも不安にかられていて
本当の自分がわからなくなったまま 大人になった
6年前に 怪我をきっかけに いろんな出会いや体験により
健康のこと スピリチュアルなことに どんどん引っ張られ
知りたくて知りたくて 追求し始めた
今の時代 ものすごい量の情報が飛び交っていて
その中には 信じられるものと信じられないものが入り混じり
はじめの頃は ちょっと不安もあった
けど たくさんの情報を見ているうちに
自分の中で 選別力がついてきた気がする
信じられるのは 自分の感覚だけだと思えたんです
大事なのは その情報に愛を感じるかどうか
コントロールしようとしているものは
必ずと言っていいほど 恐怖心を植え付ける感じがある
人をコントロールするには 恐怖を与えるのが一番なんですね きっと
大げさにいえば 「これをしないと地獄に落ちますよ」 みたいにね
愛に恐怖心は必要ありません
そうして少しずつ 自分の感覚は そんなに間違っていない
と思えるようになってきました
ん? と思ったときは 自分に聞く
そこに 矛盾はない? 愛をかんじる?って
私みたいな方 けっこう居るんじゃないでしょうか?
先週 映画『幸せへのキセキ』を観てきました
とても 心あたたまる良い映画 おすすめします
その中でも 私の心に一番残ったのは
「どうして○○したの?」
「いけない?」
というセリフでした
そうだよね 理由なんていらないんだよね と共感
そうしたかったからそうした それだけでいい
自分の 直感・閃き・予感 大切にしていきましょう