三浦支隊を壊滅の危機に追いこんだ中国軍の司令官は単身、辻少佐たちの前に姿をあらわした。その距離100メートル、弾雨の中で平然としている。
以下、辻少佐の回想録より抜粋。
あの辻政信が「✕✕✕ではないのか」というぐらいだから、よほどの✕✕✕なのだろう。
以下、辻少佐の回想録より抜粋。
これが新庄自動車部隊を全滅させて、開戦以来最大の勝利を収めた、第八路軍軍長林彪の勝ち誇った姿であった。傷いた敵の俘虜から後で聞いたことである。
八路軍の最高指揮官林彪は、此の時未だ三十歳にならない青年であったが、終戦後国府軍を破って満洲を取り、長駆広西の首都桂林を占領した。共産軍中の最精鋭と評されているが、 単に智謀や戦略でのみ優れていると思うのは誤りであり、身を以て弾雨の中に幾度か範を示している所に、彼の強味がある。
平型関口の一戦は、骨を削られる思いがあった。 無線機も壊されて、師団にも、隣接の東条兵団にも、一切の通信を中断された。この事を知った師団長は、大場連隊を急行させ、また東条兵団についていた関東軍の参謀達は、「通信が絶えたのは苦戦の証拠だ、板垣さんを救え」 と叫んで、平地泉方面の攻撃を中止し、主力を以て大同を南下し、平型関口の北側から敵の背後に迫り、幾度か絶望に瀕した死闘の中から、三浦支隊を救ってくれた。
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