生まれて初めて父のいない誕生日となりました。
60代の後半の皮膚ガンから始まって、2度の脳梗塞、心筋梗塞とたびたびの大病を驚異的な回復力でまったくの後遺症もなく乗り越えていた父は、2011年3月11日、早期胃ガンが発覚しました。腹腔鏡手術で残した3分の1の胃と小腸のつなぎ目が狭く、癌は治っているのに食べ物をうまく消化できずに常に満腹感が得られず、食べ過ぎるとムカムカ感に苦しむ笑顔の少ない2年間でした。もともと痩せていた体形が16キロもさらに痩せていました。そんな中でも自分の足でしっかり歩き、身の回りのことを行い、西都(宮崎)の自宅と山川の私の家を11時間かけて行ったり来たりの生活によく耐え、うちの犬たちをかわいがり、二人の孫たちの結婚式と初孫・夏輝の誕生には最高の笑顔で臨んでくれました。
黒川さんの選挙の最中に夏バテ気味で食欲がないからと地元で入院した際のCT検査で胸部大動脈瘤が見つかり、「この夏を乗り切れるように」と先月26日に車で迎えに帰り、28日に二人で(最後の)西都~山川のドライブを機嫌よく過ごし、夜、笑顔でうちの旦那にあいさつした翌朝、トイレで倒れてそのまますぐに息を引き取りました。大好きな母のそばで死ねなかったことを本当に申し訳なく思いましたが「ほとんど苦しまない最高の死に方じゃよ」と旦那に言ってもらって救われました。父も最も信頼する医師に最期を見てもらって満足だったかもしれません。私の選挙のたびに応援に来た際にお世話になった徳島の方々にも見送っていただいて、亡くなる前にみなさんにあいさつしたかったのかもしれません…。
本当に幸せだった父とともにあった54年です。思えば、小さいころから今まで一度も叱られた記憶はありません。明るく楽天的で笑顔が絶えず、子煩悩で、まじめにコツコツ働くという気質は父から受け継いでいるのだということが、亡くなってみてわかったような気がします。結婚して「吉田益子」となってからの30年間も、当たり前かもしれませんがずっとずっと愛してくれました。私たち3人の姉弟妹と同じように、光朗や晴香も無条件で愛してくれた(夫がアフリカにいた時には父親代わりでした)、宮崎空港や高鍋駅でいつもいつも迎えてくれたあの笑顔にもう会えないと思う度に、まだまだ涙が出てきます。人として一番大切な「人を愛すること」を身をもって教えてくれた父がいたから、今幸せなのだと思います。
写真は旦那からのバースデー・プレゼントです。白い花の色に今の気持ちが癒されます。