亡くなった父の闘病中に、母の物忘れの症状はひどくなってきていたのだが、父のことで精いっぱいだった。
彼女は、元気なころの数倍の時間をかけて、炊事、洗濯、掃除の一日の自分の仕事をこなし、懸命によく生きているのだけれど、その生活の端々に母らしくないことを見つけるのが悲しい。けれど、そんなことは気にしないことにして、愉快に二人で過ごす日々。
父がいなくなってもう80日が過ぎた。徳島にも3週間連れてきていたのだが「とてもいいところじゃけど、やっぱり知ってる人がいる宮崎で自分で暮らすのがいい」という母。あと2日で、いったん母から離れて、一人徳島に帰る。これからは、妹と二人で助け合って「母当番」をする。妹は約50km先から週に1,2回、母のところに1泊してくれることになっているが、母一人の生活が3~4日づつは続くことになる。それが4,5回あって、月に一度は私が徳島から1週間ほどやってくる。
さっき、私がいない間の母の薬を用意していたら、「毎日ちゃんと思い出して飲んでくれるかしら」と切なくなってきた。この80日間、症状はほとんど進まず、ころころよく笑って幸せそうだった母。「一人でも大丈夫」と言っているけれど、ああ、切ないな・・・。
だけどご家族で一生懸命考えて出した結論なら、私が最近はまっている言葉「これでいいのだ」をおくります。薦められて視たタモリの赤塚不二夫氏葬儀弔辞に感動し、心に残った言葉です。お母様の心安らかな日々を祈りつつ。
母は、「自分は幸せ」と言って笑って暮らしています
明日は初めてのデイケア、あまり気が進まないみたいですが、介護予防のためのお勤めと覚悟しているようです
月に一度、何も言わずに送り出してくれる旦那に感謝ですね