明日は1・17から25年目だ。
取材を終え、カメラマンは大阪へ帰ったが、僕は17日が休みだったので、近くの湯原温泉の豪華旅館で1泊した。
あの阪神・淡路大震災から25年もたったのか。
あん時は43歳だったのか。
大きな事件があった時は、その前の日のこともよく覚えていて、不思議だ。
僕はあの年、1995年の1月16日のことをよく覚えている。
カメラマンと共に3日前から岡山県の津山市にいた。
「美女紀行」いう東スポ最終面の人気企画の取材をしていた。
美女紀行いうのは、ある街へ3泊4日で行き
その街の美女を6人見つけ写真を撮らせて貰って、インタビューするのだ。
当時は1月15日が成人式だったので、晴れ着の美女に声をかけ取材した。
取材を終え、カメラマンは大阪へ帰ったが、僕は17日が休みだったので、近くの湯原温泉の豪華旅館で1泊した。
作家気取りで豪華な食事をし、温泉に浸かり、原稿6本書き上げた。
寝る前にマッサージを頼んでドキドキして待ってたら、男性が来てガッカリして、ふて寝した。
やけに痛いマッサージだった。こんなしょうもないことまでハッキリ覚えている。
そのまま寝て、明け方グラリと揺れたので目が覚めた。
テレビをつけると、阪神地区で大地震があったと伝えた。
最初は、はあ地震くらいの認識だった。
しかし、阪神高速が倒壊している映像を見て仰天した。
急いで帰らなければと、車に乗って家路を急いだが…。
この先の「地獄の帰還」は去年の12月の『「第25回神戸ルミナリエ2019」&僕の震災の思い出』に書いた。