アクセスジャーナリズムという言葉がある。
批判的な記事は書かないという条件で、政権や企業へアクセスする権利を貰う事で、いわゆる御用記者による馴れ合い記事が報道されることになる。
対して独自調査報道というのは、広く公正に事実に迫ろうと独自に調査した報道の事だが、新聞が部数を減らす現代では、お金も時間も人手もかかる調査報道は出来なくなりつつある。
しかしアクセスジャーナリズムばかりでは、世界に多様な意見を発信するチャンスも失う事になる。
実際、今日本政府がどんな考えを模索しているのかを世界のメディアは知りようがないから感心も持って貰えていない気がする。
結果、為政者達はますます井の中の蛙になり、日本は世界に忘れられてゆく。
アジアには、誠実な議論を忍耐強くせねばならない事案が山積している。
なのに、慰安婦問題などのように紋切り型の反論ばかりを繰り返していたのでは話にならないではないか。
オリンピックも、「何が何でも開催!と叫ぶばかりでは論理と科学性を求める欧米社会ではとうてい受け入れられず、海外メディアから五輪開催悲観論が頻出するのも無理はない」という記事を読んだ。
「メディアが政権の”ポチ ”になっている!」と警告する外国人ジャーナリストもいるのだ。
これは、メディアを変えるのは私たち国民一人一人だという警告でもある。
何だか硬い事ばかりが頭を煩わしてしんどかったので、今年初めてチャリに乗って出かけた。
明日は晴れそうだ。
生きているから藻掻く事も出来ると割り切って、明日の稽古に備えよう。
批判的な記事は書かないという条件で、政権や企業へアクセスする権利を貰う事で、いわゆる御用記者による馴れ合い記事が報道されることになる。
対して独自調査報道というのは、広く公正に事実に迫ろうと独自に調査した報道の事だが、新聞が部数を減らす現代では、お金も時間も人手もかかる調査報道は出来なくなりつつある。
しかしアクセスジャーナリズムばかりでは、世界に多様な意見を発信するチャンスも失う事になる。
実際、今日本政府がどんな考えを模索しているのかを世界のメディアは知りようがないから感心も持って貰えていない気がする。
結果、為政者達はますます井の中の蛙になり、日本は世界に忘れられてゆく。
アジアには、誠実な議論を忍耐強くせねばならない事案が山積している。
なのに、慰安婦問題などのように紋切り型の反論ばかりを繰り返していたのでは話にならないではないか。
オリンピックも、「何が何でも開催!と叫ぶばかりでは論理と科学性を求める欧米社会ではとうてい受け入れられず、海外メディアから五輪開催悲観論が頻出するのも無理はない」という記事を読んだ。
「メディアが政権の”ポチ ”になっている!」と警告する外国人ジャーナリストもいるのだ。
これは、メディアを変えるのは私たち国民一人一人だという警告でもある。
何だか硬い事ばかりが頭を煩わしてしんどかったので、今年初めてチャリに乗って出かけた。
明日は晴れそうだ。
生きているから藻掻く事も出来ると割り切って、明日の稽古に備えよう。
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