この歳になると、過去ばかり振り返って懐かしみ集おうとする人達が多い。
過去から学ぶという意味では大切だと思うが、今の自分こそが自分だし、今は次の瞬間、つまり連続した未来に繋がっている。
否応なく誰もが、人類の歴史の一端を担っているのだ。
“時間とは何か”という表題の記事を読んだ。
「動く歩道を歩くことと、時間の流れを歩むことは同じ。つまり私達は時間にとっての過去を前に進むのである。」
こんぐらがりそうになるが、歩く歩道のたとえはイメージし易い。
記事の中ではこうも語られる。
「時間は、現代においては常に金に換算される。時は金なり。ミヒャエル・エンデは
『モモ』(今から半世紀以上も前に刊行)というファンタジー小説の中で、時間泥棒を登場させている。」
そう、私の大好きなこの作品は、時間こそが人生の宝であるからこそ、それに縛られてはいけない、と言う。
今や時間から自由な人間は孤島にしか存在しないかも知れない。
携帯も、原発も、非効率的で複雑なだけの役所も政治もない、孤島・・・。
そういえば、そんな孤島の様な面白い街のことを、百年も前に与謝野晶子が詩に描いていたっけ。
時間は過去へと向かって流れてくる。
だから、過去に学んで今に活かすことが必要なのだ。
灰色の男たちの様な偽の政治家たちに、洗脳されてはならない。
最後は私たち有権者に託されている。
<この庭は私に託されている・・・あれ、ジャングル?!>
過去から学ぶという意味では大切だと思うが、今の自分こそが自分だし、今は次の瞬間、つまり連続した未来に繋がっている。
否応なく誰もが、人類の歴史の一端を担っているのだ。
“時間とは何か”という表題の記事を読んだ。
「動く歩道を歩くことと、時間の流れを歩むことは同じ。つまり私達は時間にとっての過去を前に進むのである。」
こんぐらがりそうになるが、歩く歩道のたとえはイメージし易い。
記事の中ではこうも語られる。
「時間は、現代においては常に金に換算される。時は金なり。ミヒャエル・エンデは
『モモ』(今から半世紀以上も前に刊行)というファンタジー小説の中で、時間泥棒を登場させている。」
そう、私の大好きなこの作品は、時間こそが人生の宝であるからこそ、それに縛られてはいけない、と言う。
今や時間から自由な人間は孤島にしか存在しないかも知れない。
携帯も、原発も、非効率的で複雑なだけの役所も政治もない、孤島・・・。
そういえば、そんな孤島の様な面白い街のことを、百年も前に与謝野晶子が詩に描いていたっけ。
時間は過去へと向かって流れてくる。
だから、過去に学んで今に活かすことが必要なのだ。
灰色の男たちの様な偽の政治家たちに、洗脳されてはならない。
最後は私たち有権者に託されている。
<この庭は私に託されている・・・あれ、ジャングル?!>
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