人村です!

舞台と結婚したと公言する「人村朱美」が綴る舞台生活 毎週火曜日更新・・・したいなぁ

港町敦賀

2008年05月05日 | 徒然
 30度を越える真夏日が各地で観測され、寒い我が家でも、さすがにストーブを焚かなくなった。トイレの便座を温めるスイッチも切った。この頃は、スリッパなしの裸足でペタペタ廊下を歩くのが気持ちいい。

 もしやを期待して、庭の一隅に放っておいたジャガイモから茎が伸び、青々と茂っているのを発見。自給自足への門戸が開いたか!?
 お向いさんのイチゴも我が家に種を根付かせたらしく、桜の下に白い花を咲かせている。何年か前に義姉が植えてくれたイチジクは、今年も実無しかも知れないが、新緑を日々茂らせて元気そうだ。
 何もかもが、夏へと走り出している。

 7月に祇園ライヴを、と考えていたが、2、3企画が持ち込まれて、準備に時間がかかりそうだ。毎日資料本を読みあさり、合間に韓国ドラマで一息つき、それにも飽きると、本を持って“みなと緑地”へ。ワンちゃんたちの散歩や夕日に、時折目を休めながらする読書もいいものだ。家だとすぐにアルコールに手が伸びていけない。

 読んでいるのは、主に杉原千畝関連の本だ。戦争前夜の複雑に絡み合った日本の状況が興味深いが、たとえどんな裏事情があったにせよ、杉原氏の行動も、その行動がもたらした素晴らしい結果も、事実である事に変わりはない。6千から8千人もの命が救われ、そこからさらに多くの新しい命が育っている。それで充分だ。

 もしその時、同じ事が出来たかを自身に正直に問えば、私も含めて多くの人が「否」と答えるしかないだろう。家族を、自身の将来を考えれば皆、二の足を踏むはずだ。

 白いものを白い、正しい事を正しい、出来る事は出来る、そして駄目なものは駄目!と表現し行動した杉原氏の行為は、研鑽(けんさん)の上に積み上げら類稀(たぐいまれ)な職能と、素直で誠実な人間性に支えられている。
 悩んだ末とはいえ、走りだした杉原氏の行動には迷いがない。まるでサムライだ。

 語らず、ひたすら任務を追行し、自分流を貫いた人。終戦後外務省を辞めさせられた後、ユダヤ人たちや多くの外国人ジャーナリストが、声を大にして彼を絶賛し外務省を非難したが、彼は自己を喧伝(けんでん)することなく、あくまで寡黙を通し、長く日本外交史の裏に埋もれさせられた。そう、杉原千畝はサムライそのものだ。

 人間の性善説が疑われるような世相にあって、彼は本来の人間の有り様をさらりと実現した。そしてわが町敦賀は、その功績の一つの通過点として、歴史に名を記された。

 『熊谷ホテル物語』の中で、作者・花木氏は、流れ者の主人公・チヨにこう言わせている。「敦賀って、外地の珍しい物も港からすぐ手に入るし、いろんな所からいろんな人たちが集まってくる。住みやすい町ですよ」と。

 敦賀は、杉原氏の行為から学ぶチャンスを与えられた。私にはどうしてもそう思える。誰もが、どこの町もがチャンスを与えられたわけではないのだと。


 
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