近代化、西歐化、和魂洋才、二本足の學者、そして私
前囘の續きとして書く――。
如何にも舊乃木邱の邸内が撮影禁止なのは當然である。
乃木大將が自刃した際の血塗られた軍服を間近に見、簡單な解説も、その場にゐた女性に仰ぐ事が出來たけれども、乃木大將が、明治天皇に殉じ、夫人が、乃木大將に殉じた、抔と云つても、今の若い人達は理解し難いに相違ない。かく云ふ私も、この事を、分つた心算になつてゐるだけかも知れないが、「今」に限らず、當時の文士達も、漱石や鴎外と云ふ例外は除き、理解し難いと發言してゐるのである。
その例外たる鴎外は、乃木大將の殉死に際して、自らの襟を正し、「興津彌五右衞門の遺書」を一氣に書上げ、漱石は、明治の終焉を感じ取り、「こゝろ」に於て、「先生」を明治の精神に殉じさせてゐる。
近代化とは西歐化であり、日本が、西歐の文明に逢著した行爲自體が、明治の精神と云へようが、和魂洋才の痩せ我慢とは長續きせず、吾國文學の批評に於ては、小林秀雄、福田恆存、松原正と時代を重ねるに連れて、和魂の殘滓はつひに地を拂つたやうに思はれる――尤も松原氏自身、生前は無魂洋才と現代日本を評してゐた訣だが――。
以前の記事に書いた事だけれども、私のばあひ、「それから」の代助が云ふやうに、日本對西洋の關係が駄目なのではなく、日本も西洋もないのである。と云ふのも、私には、明治の文豪程の漢文や文語文の素養がなく、それでゐて、英語はネイティヴのレヴェルとは程遠いからである。T.S.エリオットは、人間一個人は、同時に二つの文化に跨る事は不可能と語つたけれども、最早、私は、一つの文化に就いても、自國の文化に就いても半可通なのである。吾國に「二本足の學者」が必要である事は、鴎外も漱石も荷風も、吾國の優れた先達が認めてゐる處だが、それはエリオットに云はせれば、不可能な事である。が、不可能な事に挑まねばならないのが、後進國の宿命であり、そのやうな宿命とエリオットとは、無縁なのである。そのやうなエリオットであるからこそ、小林秀雄が松原氏に語つたやうに、贅澤な事を云へる(※1)のである。それは、保守すべき傳統が、エリオットにはあり、吾々にはないと云ふ彼我の質的相違に外ならない。何せ、今の日本人の多くは、唯一の文化である正字正假名さへも保守してをらず、それでゐて、保守派は、自らを保守派と稱してゐる訣で、日本が保守して來た事があるとすれば、それは自らの傳統文化を棄て續けて來た「傳統文化」なのである。
(※1)「福田恆存の思ひ出」『松原正全集第二卷 文學と政治主義』(圭書房)所收
前囘の續きとして書く――。
如何にも舊乃木邱の邸内が撮影禁止なのは當然である。
乃木大將が自刃した際の血塗られた軍服を間近に見、簡單な解説も、その場にゐた女性に仰ぐ事が出來たけれども、乃木大將が、明治天皇に殉じ、夫人が、乃木大將に殉じた、抔と云つても、今の若い人達は理解し難いに相違ない。かく云ふ私も、この事を、分つた心算になつてゐるだけかも知れないが、「今」に限らず、當時の文士達も、漱石や鴎外と云ふ例外は除き、理解し難いと發言してゐるのである。
その例外たる鴎外は、乃木大將の殉死に際して、自らの襟を正し、「興津彌五右衞門の遺書」を一氣に書上げ、漱石は、明治の終焉を感じ取り、「こゝろ」に於て、「先生」を明治の精神に殉じさせてゐる。
近代化とは西歐化であり、日本が、西歐の文明に逢著した行爲自體が、明治の精神と云へようが、和魂洋才の痩せ我慢とは長續きせず、吾國文學の批評に於ては、小林秀雄、福田恆存、松原正と時代を重ねるに連れて、和魂の殘滓はつひに地を拂つたやうに思はれる――尤も松原氏自身、生前は無魂洋才と現代日本を評してゐた訣だが――。
以前の記事に書いた事だけれども、私のばあひ、「それから」の代助が云ふやうに、日本對西洋の關係が駄目なのではなく、日本も西洋もないのである。と云ふのも、私には、明治の文豪程の漢文や文語文の素養がなく、それでゐて、英語はネイティヴのレヴェルとは程遠いからである。T.S.エリオットは、人間一個人は、同時に二つの文化に跨る事は不可能と語つたけれども、最早、私は、一つの文化に就いても、自國の文化に就いても半可通なのである。吾國に「二本足の學者」が必要である事は、鴎外も漱石も荷風も、吾國の優れた先達が認めてゐる處だが、それはエリオットに云はせれば、不可能な事である。が、不可能な事に挑まねばならないのが、後進國の宿命であり、そのやうな宿命とエリオットとは、無縁なのである。そのやうなエリオットであるからこそ、小林秀雄が松原氏に語つたやうに、贅澤な事を云へる(※1)のである。それは、保守すべき傳統が、エリオットにはあり、吾々にはないと云ふ彼我の質的相違に外ならない。何せ、今の日本人の多くは、唯一の文化である正字正假名さへも保守してをらず、それでゐて、保守派は、自らを保守派と稱してゐる訣で、日本が保守して來た事があるとすれば、それは自らの傳統文化を棄て續けて來た「傳統文化」なのである。
(※1)「福田恆存の思ひ出」『松原正全集第二卷 文學と政治主義』(圭書房)所收