二本足の學者を目指して

賢を見ては齊しからん事を思ふ

平成二十九年十一月二十一日(火)青春

2017-11-21 17:05:39 | この世を概觀する
 青春

 世の中では、不惑抔と云ふが、そのくらゐの歳になつて、やうやく、少しは人生に就て、考へるやうになつた氣がする。尤も不惑抔と云ふ歳になつても、惑ひ續けてゐる者が、得てして、責任者になつてゐ、責任を取れないのが、この世の一幕であつたりする。歳を取るのは、やはり、嫌なものです、と云つたところ、それは違ひます、歳を重ねるのですわ、と若い人が云つたけれども、その若い人にいはせれば、私は大學生のやうに見えるのだと云ふ。然し、私は、決して無責任でも、未熟でもないと自負してゐるし、その事は、多分、恐らく、若い人も首肯してくれる事と思ふ。ぢやあ、何故、私は大學生のやうに見えるのだらうかと云へば、大學を出て大分經つといふのに、尊敬する先生方に肖らうとしてゐるその理想ゆゑに相違ない。仕事が、すなはち、學問や文業であればいいが、大半の人間にとつての仕事とは、さういふものとは懸け離れたもので、日々の讀書さへも儘ならない。小林秀雄は、還暦になつて、自分の青春はをはつたと書いたけれども、今もなほ、この私が大學生のやうであるとしても、現實的な仕事を選び、出來る限り繼續して行くしかない。
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