二本足の學者を目指して

賢を見ては齊しからん事を思ふ

【舞臺「ジャンヌ・ダルク」雜感】

2023-11-29 10:04:16 | 文學、精神、そして魂
【舞臺「ジャンヌ・ダルク」雜感】

主演の清原果耶さん始め、女優陣、俳優陣は熱演でした。清原さんと云へば、「透明なゆりかご」や「おかえりモネ」のやうな靜かな演戲の印象が強いと云ふ人達が多いでせうし、ドラマや映畫に於けるクローズアップにて、涙の演戲が生きるとも云へます。

今囘は初舞臺での初主演との事で、ドラマや映畫とは表現の手段が異なります。然し、聲もよく出てゐたし、よく動けてゐました。殺陣と云ふ觀點では、時代劇ドラマ「螢草」での清原果耶さんを思ひ出す事も出來ました。

戲曲に關しては、之は勿論、女優さんのせゐではないのですが、大略(と云ふのも臺詞をメモしてゐない爲)、「之も私のエゴなのか。私の役目も戴冠式迄なのか」と云ふやうなジャンヌの臺詞があり、之は如何にも説明的過ぎます。

之がB・ショーの戲曲であれば、ジャンヌには若さゆゑの傲慢な傾向がある事を、その振舞ひで自然に示してゐます。譬へば、孤獨である事を描くにせよ、「私は孤獨だ」抔と云はせて了ふのは、如何にも表現として稚拙なのです。

また、B・ショーは「聖女ジャンヌ・ダルク」の「序論」にて、自分はこの戲曲をメロドラマには仕上げないと宣言して、正にそのとほりの本を書いてゐますが、今囘の舞臺「ジャンヌ・ダルク」の脚本は、大衆向けと云ふ要素があつてか、些か(と云ふか可也?)メロドラマ的なものを私は感じました。

まあ、同じ「ジャンヌ・ダルク」の戲曲でも、B・ショーのやうな高級な御話は、今日の日本人には受けないかも知れません。

後、「ジャンヌ・ダルク」と云へば、女性に於ける男裝の話が出るのですが、之は何も今日のジェンダー(レス)に關して阿つた話ではなく、昔からの御極まりな話です。が、初めて「ジャンヌ・ダルク」を觀た意識高い系の人達は、正に今日、話題なジェンダーの御話だ、と思つて了ふのでせうね。

#ジャンヌダルク #清原果耶 さん
コメント (1)
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