1、クレームと言語障害
今日、J:COMの技術者から電話があって、10分程話をした。昨日チューナーが交換時期に来てるということで担当者から案内の電話があった時、録画機能に関するちょっとした不満を2、3述べたので、その回答だった。私の契約しているケーブルテレビでは自動録画予約という機能があって、シリーズで録画したい番組をいちいち予約せずに「自動で録画」することが出来る優れものである。しかしJ:COMは機能が中途半端で、録画したい番組だけでなく「似たような番組」を勝手にバンバン録画してしまうのだ。当然レコーダーには似たような番組がいくつも録画されて、ディスク容量がすぐパンパンになってしまう。こちらは目当ての番組をピンポイントで録画したいのに、関係ない番組まで録画されるのは「おかしい」と指摘した。もし似たような番組があってそれも録画したいと思ったら、私はまた同じ操作をして「別個に自動録画予約」をするので構わないのである。それよりも、意図しない不要な番組を録画してしまう間抜けな録画機能の方が余程イライラする。
また、テレビは録画しておいて見るというのが主流になりつつある昨今、私も見たい番組はすべて「録画してから見る」ようになってきている。ところがJ:COMのは初回放送だけでなく「一回目だろうが再放送だろうが」お構いなく番組名が同じなら「全部録画」してしまうのである。結果、同一の番組が3個も4個も録画される羽目になる訳だ。バッカじゃないの?。これも苛つく中途半端な機能だ。自動録画予約機能に必要なのは、見たい番組を「一回だけ確実に録画してくれる」ことである。それ以外は必要無い。以上の内容をJ:COMの技術者には伝えたつもりである。
改善方法は簡単だ。番組表に表示する番組を全部「コード化」して、レコーダーの方はそのコードを読み取って自動録画の対象にする。番組名で対象を判断するのでなくコードで選別するからピンポイントで録画出来る筈である。これで関係ない番組がヤマほど録画されるミスは完全に無くなる。それから同一番組をいくつも録画してしまう件では番組のコードに、初回放送には数字の「0」を付け、2回目以降は「123・・・」と回数表示すれば良い。勿論、自動予約録画では基本的には「0」を録画し、何らかの事情でレコーダーに0が録画されなかった場合は次の番号を録画する。これは再放送される度にレコーダーをチェックして、同一番組が必ず一つ録画されるようにする。まあ、こんな感じだ。
このような不満は私が初めてではなく、過去にもいろいろとあった筈である。もしJ:COMなりケーブルテレビ番組表制作者が視聴者の不満を汲み上げて実際にそういう機能を付けようと思えば、テレビの技術者であれば苦もなくプログラムされていた筈だ。なのに今まで改善されてないと言うのは、そもそやる気が無いからだと思う。こう私が言ったときにその技術者はちょっと気色ばんだが、事実は事実なのだ。彼は「おっしゃる通りです」としか言えなかった。多分このようなシステム改善のために「番組のコード化」を実現しようと思えば、変更する箇所を担当する部署や会社など「業界全体」に働きかけて意見をまとめたり、その他の色んな調整に相当な労力がかかるだろうなと想像した。
番組制作側の思惑もあるだろうし、業界の主導権争いにも影響が無いとも言えない。要するに「超面倒くさい」のだ。面倒くさい割にはユーザーに与えるメリットとしてはインパクトが無さすぎる。そうお偉いさんが思ったとしても、まあそうだろうなという気にはなるのだ。だが、良いと分かっているのに面倒くさいからやろうとしないこういう体質というのはどうなんだろう。これはどこの企業の上層部にもある利益第一主義という思考傾向である。世間一般の企業はこういう理屈で動いているのだろうが、私は何であれ「身近な問題を解決する」ことが大好きなのだ。自分の身の回りをどんどん便利に、楽に作業が出来るように改善して行きたいのである。
で、J:COMの技術者に「私の考え」をぶつけてみた訳である。さて、彼は上司を説得して問題を解決するだろうか?
私にはどっちでも構わないが、彼と話しをしていて一つ分かった事がある。それは、こういう電気製品の操作に関する技術的なクレームを担当者に電話で伝えるのは、まだ私の言語能力では「難しい」と言うことである。多少なりともクレームをつけるのだから、どうしても興奮するし早口にもなる。普段でさえ意味が通りにくいのに早口で言おうとするのだから、尚更相手には「聞き取りにくく」なるのは自明であろう。技術者の人には迷惑だったとは思うが、何とか大凡の意味が通じたように感じられたのは幸いであった。
もしかしたら私の話の何割かはよく聞き取れなかったかも知れないので、担当の方には深くお詫び申し上げて置きたい。しかしこの前、ブログに急に滑舌が良くなったと記事を上げたばかりでちょっと調子に乗っていたせいか、私にも「人並みにちゃんと話せる」と思い込んでいたのは間違いない。まあ、聞いてる方からすれば「ふざけんな!」という位の思い過ごしだった、と反省頻りである。まだまだ私の実力は「相手の心にグサッと刺さる」ほどの厳しいクレームを言うまでには至ってないと思い知らされた、残念!
しかし今回、見ず知らずの他人と難しい話をしてみて感じたことは、やっぱりリハビリの成果を上げるには「たくさん喋る」のが一番だと再認識したことである。喋れば喋るほど、言葉の障害は「加速度的」に回復する。メールや LINE も良いけど、やはり喋るのが一番だ。これからはちょくちょく街に出て、どこぞの店員などにちょっと商品について「喋りかける」ということもやってみようかと思ったりもする。
何でも経験である。目標は一日一話。明日から早速実行してみたい。
2、岸田首相は家庭的な人?
まあ、人んちの事をあれこれ言うのもなんだが岸田首相も国会で責められたりして恥ずかしいねぇ。そもそも長男を首相補佐官という秘書みたいな役職につけたのが間違いだったと言えそう。本来であればキチンと下積みから現場を経験させて、実力がついた頃に引き上げる、というのが政治家の常識ではないだろうか。小泉進次郎と比較するのも何だが「エライ違い」だとしか言いようがない。これは教育の問題というより「長男の資質の問題」だろう。つまり岸田首相のDNAが凡庸だったということではないかと個人的には思っている。だって岸田首相の国会答弁にしたって小泉元首相とは比べものにならないくらい「低レベル」なのは、国民皆承知であろう。責任感の無い親には同じような責任感の無い子供が生まれるって事ですね(確かに!)。
一方、公用車でお土産を買いに行ったのどうのという問題については、私は別の意見を持っている。だいたい一日中「公用」で出かける為に使用している公用車に「たまたま公用の間にちょっと私用を済ます」位の使い方をしたからってバチは当たらないだろう。以前千葉県知事だったころ台風被害を視察していた森田健作が、たまたま公用車で自宅に戻ったのどうので一気に炎上し、結果選挙でも落ちた事があった。私は別に森田健作をどうこう言うつもりは全くないが、知事には公用車を「四六時中乗り回して貰って結構だ」という意見である。そもそも知事は「24時間」公人としての行動を求められているのだから、その行動に「公用車」を使って何が悪いんだろうか?。勿論運転手も「込み」の費用は、全部税金で賄われるのが当然である。
これが贅沢だとか公私混同だとか言うんなら、休みの日に海外旅行に行っていてたまたま地元で地震や災害が起きたからって「急いで帰って来る義務は無い」理屈である。だって休みなんだから(これが日本人には通用しない)。日本人は何でもかんでも「要求だけ」は高いレベルでするのに、ちょっと本人が自由時間を満喫しようとすると「批判の大合唱」で引きずり下ろそうとする。悪い癖である。
まあ公用車の件は置いといて、今回の長男の辞職で、岸田首相の家族は極々一般的な「常識的な家庭」と全然変わらないものであると知れたわけである。つまり、会社で言えば長年勤めてあげてそれなりに課長とかの役職について頑張ってはいるが、特に能力がある訳でもなく人付き合いと上司への忠誠心で何とか今の仕事をこなしているような平々凡々たるサラリーマンが、何とか苦心惨憺の末に年の割には早くして係長まで引き上げた長男が、全く「親の苦労を理解」せずその恩を仇で返すような不始末をやらかした時の「深い嘆き」を感じるのである(それにしても、内部情報をリークした人間がいたっちゅうことですよね?。やっぱり嫌われていたんだろうなぁ、お坊ちゃんオーラ丸出しのバカ息子は公務員には向いていないのかも)。岸田さん、ご愁傷さまです!
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