明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

天智天皇は百済人!というのが確定した

2024-04-26 12:32:00 | 歴史・旅行

今日夕食を買いにマミーマートへ行って弁当や総菜を物色している時突然ある考えが脳裏に閃いた。645年乙巳の変で入鹿殺害現場の飛鳥板葺宮から必死に逃げ帰った古人大兄皇子は、日本書紀によると「韓人が鞍作を殺した」と叫んで家の中に入り扉を閉ざしたと言う。有名な話だ。で、韓人とは誰の事をさしているのかと言うと、古人大兄皇子は入鹿殺害現場に居て実際に事件を目撃している訳だから、襲撃犯4人の中に「世間で韓人と呼ばれていた人物」を見た、そう考えるのが妥当である。襲撃犯のメンバーは中大兄皇子・佐伯直子麻呂・葛城稚犬養網田・中臣鎌足であり、その中で可能性があるのは中大兄と鎌足の二人だ。鎌足は弓を持って隠れていて万一の場合に備えていたと言うから、古人大兄が実際に目にしたのはほぼ間違いなく「中大兄皇子その人」しかいない。

では中大兄皇子の系図はどうなっているかと言うと、父は舒明天皇。舒明天皇というのは推古女帝の後に用明系の山背大兄皇子と皇位を争った田村皇子のことである。舒明天皇の父は備達系の押坂彦人大兄皇子であり、母は異母妹の糠手姫皇女。このころ蘇我氏は欽明・備達・用明・推古と政権をどっぷりと握っていて、田村皇子と山背大兄皇子の争いも「言わば蘇我氏内部の主導権争う」と見てもいい状況であった。ただ、舒明天皇の奥さんの「宝姫王」というのは備達天皇の子の「茅渟王」の娘である。この茅渟王とはどんな人なのか?。資料が無いらしくて分かっていない。宝姫王の方はというと高向王と結婚し、漢皇子を産んでいる。つまり高向王といい漢皇子といい、相当に朝鮮半島系の匂いがプンプンしているのだ。というか宝姫王自身、帰化人系かも知れない。

さて、この宝皇女が舒明天皇の死で皇位を継ぎ皇極天皇となった段階で天皇家の周りの状況はどうなっているかと言うと、用明系聖徳太子の息子である山背大兄王がライバルの入鹿に族滅させられ、古人大兄皇子はどうも先祖が帰化人系のようであるらしい蘇我蝦夷が全面バックアップして「次期天皇」の地位が固まりそうな感じである。そこで皇極天皇の弟の軽皇子が蘇我氏傍流の蘇我倉山田石川麻呂と組んで一発逆転のクーデターを計画・実行したのが乙巳の変である。

あれ?、蘇我氏は元々帰化人系だし皇極天皇もどうやら半島系かも?ってことで、何か古人大兄皇子以外は「全員韓人」じゃないんかい!。そうなんである。このころの日本は帰化人が相当数いたんじゃないかと私は思っている。というか帰化人というのも面倒臭いくらい「列島系と半島系が入り混じって」いたようなのだ。じゃあ何で古人大兄皇子は「韓人」と言ったのか?。私はこの「韓人」と言う言葉が実は単に百済や新羅などにルーツを持つ半島系の帰化人「と言う意味ではなく」、そのものズバリ「国籍が百済人のまま日本に来ている人」を指しているんだ!、と閃いたのである。

・・・つまり中大兄皇子は「百済人」である!

以上。ちょっと閃いただけだが、これで中大兄がハッキリ百済人と分かったことで「その後の天智天皇の行動」が色々と解き明かされてくる。その内容はおいおい考えていくとして、取り敢えず「百済人天智」という図式は確定ですね。



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1 コメント

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Unknown (yoshikazu0416)
2024-04-26 00:00:09
百済人と今の朝鮮人は、違うよ。
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