我々は例えば大きな地震(とか旱魃とか大雨など)を表現する時には、それが近い日付の場合は○年前の○月に起きた地震とか表現する。しかしこの方法は「毎年○年前という数字を更新」しなくてはならず、面倒である。そこで昔は、例えば天皇の治世を使って○○天皇の○年、という方法で「絶対年を表現」して来た(後から年号が作られたし、大まかには○○時代という表現をする)。これは西洋でも同じで、ただ天皇の代りに「キリストなどの宗教的区切り」を使用しているわけである。西洋では人間よりも神のほうが偉いのでキリスト生誕○年とか言うのであるが(要するにBC・ADである)、日本では(元は中国)天皇の上はいないので、中国以来の伝統に従って天皇が自分の年号を制定してきた。民は天皇の決めた年号を使用して、時間を表現したのである。勿論、干支によるピンポイントの時間の指定もあったのだが、時間的間隔を表現するのには「やはり不便」だったのだろうな、と思う。まあ大宝3年と言っても文武天皇7年と言っても癸卯年と言っても703年と言っても「同じ年」のことを言うのであるが、日本人は昔は703年と言う方法を知らなかったので「大宝3年」というのが一番便利だったかも知れない。文武天皇○年と普通に会話するというのは恐れ多いし、だいたいが「治世の間は全部今上天皇と呼ばれていた」わけで、仮に大昔の事は天皇名、つい最近のことは年号、借用書などでは干支、と使い分けていただろうと推測される(私の考え)。ところが近年、歴史学が盛んになって、数値を区切って大体の範囲を示すやり方の一つとして、「○世紀」という方法が一般的になって来たわけである。
で、私はこの○世紀という呼び方が「どうにも性に合わなくて」嫌いなんである。何故かというと、19○○年のことを言うのに「20世紀」と言うのはおかしいだろう?、というのが私の主張である。19○○年なら「19世紀」というのなら素直に解る。なんで「20」世紀なのか、誰か教えてチョーダイ!
ということで、まず冷静になって現在「時間の範囲を表現する方法」にどのようなものがあるのか考えてみる。
1、基準年から経過した年数を数える
これは何年経ったかを年数で表示する方法である。生後5ヶ月の赤ちゃんの年を聞くと「正確には0歳」ですと返事される。よろしい、まだ1年経ってないわけだから0歳児で良しとしよう。正確には○年と○ヶ月という言い方が正しいのだが、この際は「0年」というのを省略している。また20歳の青年という表現は、「生まれて20年経過した」ことを意味しているわけだ。つまり20年○ヶ月であり、この場合は○ヶ月を省略している。つまり19年11ヶ月であっても「20年経っていない」から19歳だ、という表現と言える。基準年から何年経ったかを表示する、いわば「満期到達方式」である。
2、基準年から何年目かを数える表示方法
これは学校などで使われる方法で、小学○年生などという表現だ。入学と同時に1年生である。つまり受講するコースによって○年が決まるという、いわば「これからの一年」を称して○年生と言っているのであり、「受講権利保有」を表しているとも言える。つまり○年目である。保険で言うならば「これが払い終われば」という支払い者側の目線で表現するものと言える。
余談だが、昔は数えという年齢表示方法があった。これは誕生日と関係なく正月1月1日が来れば皆んな1つづつ年を取り、年末12月31日に生まれた赤ちゃんでも翌日には「2歳」になる、と言うものだ。これはこれで日本中の人間が「同時に年を更新する」のであるから、めっちゃ便利といえばこれ以上便利なことはない。前年の4月1日生まれの子供でも今年の3月31日生まれでも、皆同じ時に「小学1年生」になるのと一緒である。ちょっと横道に逸れた。
考えてみれば、時間をどう捉えるかということ一つを取ってみても、時と場合によりマチマチで混在しているのが現状だ。だが混在しているとは言っても、間違いの元となる表示は「正しい表示に変えなければ」いけないと思う。例えば西暦57年に後漢光武帝の下賜した志賀島の金印は、「何故か、1世紀の事」と歴史では教えられるのである。私は「西暦57年という絶対年」に対して、100年単位で「大雑把に括る」言い方の間には、それ相応の連動性が必要だと思っている。
そこでこの表示方法の混在から来る「一瞬の勘違い」を回避する私の統一理論を紹介しよう。
長さの単位メートルで考えると、98センチと1メートル1センチは近いが、 1メートル95センチは「ほぼ2メートル」で両者は遠い。これは1メートル1センチを101センチと表現すればはっきりする。100センチを別の言い方に変換して1メートルと言っているだけである。お金のセント・ドルも同じだ。1・2・3・・・と数えて行って、100セントでドルに切り上がる。100は「2つの呼び方がある」のである。では「世紀」はどうだろう。実は世紀は現在の使用の仕方を見ると、「単位」ではなく「範囲」になっているのだ!。だからキリスト生誕年から最初の100年を「1世紀」と定義したのである。範囲=グループ名だから、1年も99年も等しく「1世紀」に含まれる。満期の考えでも学年の話でもなく、別の概念なのだ。センチやミリに対する1歩2歩のようなものである。しかし「これが間違いの元」なのだ。絶対年をグルーピングする別の記号を作るのだから、「数え方も絶対年と同じルールで」数えなくてはおかしい。私の考えた答えを言うと、すべての年を並べてスケールを作り、「100から199」までを1世紀と呼ぶことにする。つまり「桁繰り上げ方式」である。勿論、0から99年までは「0世紀」である。これなら、年と世紀が「きちんとリンクして」頭に入ってくる。
世紀の表現は100年単位の数字を使って「○世紀=○百年」とし、0年から99年までを「0世紀」にするのだ。これを全世界に提案したい。ちなみに1年・2年・3年・・・と数えていって99年までが1世紀だとすると、最初の1世紀は「99年」しか無いことにならないだろうか。この問題は、2000年が21世紀に入ると勘違いした多くの人々を大いにがっかりさせたらしい。つまり2000年が終わるまでは「20世紀」なのだ、なんか変ではないか。これは最初の1年を1世紀としたために当然起こる「変な」ことである。我々は645年の大化の改新を「645年目」に起きた事件と認識している。だが事実は「644年と6ヶ月と14日経った日」に起きた事件である。言い換えれば644年目の6月に起きた事件なのだ。歴史は644年の1月1日の日から12月31日までを「645年」と決めているからこういう勘違いが起きる。間違いやすいではないか。
645年が645年間の意味になるためには「646年の0時」にならなければダメなのである。年の下に12ヶ月があり日があり時分秒があって、それぞれ60秒を1分、60分を1時間、24時間を1日と「置き換えている」。だから645年は「6世紀の45年目」とするべきなのだ。量の単位の置き換えである。世紀は単位の名称であって、時代区分ではない。決して「7世紀の出来事では無い」のだ。私の主張は以上である。
私は歴史を勉強していて「謎の5世紀」とか「7世紀の動乱の時代」とか読むと、一瞬ドキッとして混乱する。そして5世紀だから「5ー1で400年代」のことだな、とか頭で計算して徐に(おもむろに)本に戻るのである。5世紀=500年代と考えられればどれほど楽だろう、といつも思っていた。歴史学者の先生方には、こんな悩みは想像も出来ない「くだらない事」かもしれないが、いつかこういう「整合性の取れた世の中」がやってこないものか、と思って夢想しているのである。最後まで、つまらない話に付き合ってくれた皆さまに感謝したい。
で、私はこの○世紀という呼び方が「どうにも性に合わなくて」嫌いなんである。何故かというと、19○○年のことを言うのに「20世紀」と言うのはおかしいだろう?、というのが私の主張である。19○○年なら「19世紀」というのなら素直に解る。なんで「20」世紀なのか、誰か教えてチョーダイ!
ということで、まず冷静になって現在「時間の範囲を表現する方法」にどのようなものがあるのか考えてみる。
1、基準年から経過した年数を数える
これは何年経ったかを年数で表示する方法である。生後5ヶ月の赤ちゃんの年を聞くと「正確には0歳」ですと返事される。よろしい、まだ1年経ってないわけだから0歳児で良しとしよう。正確には○年と○ヶ月という言い方が正しいのだが、この際は「0年」というのを省略している。また20歳の青年という表現は、「生まれて20年経過した」ことを意味しているわけだ。つまり20年○ヶ月であり、この場合は○ヶ月を省略している。つまり19年11ヶ月であっても「20年経っていない」から19歳だ、という表現と言える。基準年から何年経ったかを表示する、いわば「満期到達方式」である。
2、基準年から何年目かを数える表示方法
これは学校などで使われる方法で、小学○年生などという表現だ。入学と同時に1年生である。つまり受講するコースによって○年が決まるという、いわば「これからの一年」を称して○年生と言っているのであり、「受講権利保有」を表しているとも言える。つまり○年目である。保険で言うならば「これが払い終われば」という支払い者側の目線で表現するものと言える。
余談だが、昔は数えという年齢表示方法があった。これは誕生日と関係なく正月1月1日が来れば皆んな1つづつ年を取り、年末12月31日に生まれた赤ちゃんでも翌日には「2歳」になる、と言うものだ。これはこれで日本中の人間が「同時に年を更新する」のであるから、めっちゃ便利といえばこれ以上便利なことはない。前年の4月1日生まれの子供でも今年の3月31日生まれでも、皆同じ時に「小学1年生」になるのと一緒である。ちょっと横道に逸れた。
考えてみれば、時間をどう捉えるかということ一つを取ってみても、時と場合によりマチマチで混在しているのが現状だ。だが混在しているとは言っても、間違いの元となる表示は「正しい表示に変えなければ」いけないと思う。例えば西暦57年に後漢光武帝の下賜した志賀島の金印は、「何故か、1世紀の事」と歴史では教えられるのである。私は「西暦57年という絶対年」に対して、100年単位で「大雑把に括る」言い方の間には、それ相応の連動性が必要だと思っている。
そこでこの表示方法の混在から来る「一瞬の勘違い」を回避する私の統一理論を紹介しよう。
長さの単位メートルで考えると、98センチと1メートル1センチは近いが、 1メートル95センチは「ほぼ2メートル」で両者は遠い。これは1メートル1センチを101センチと表現すればはっきりする。100センチを別の言い方に変換して1メートルと言っているだけである。お金のセント・ドルも同じだ。1・2・3・・・と数えて行って、100セントでドルに切り上がる。100は「2つの呼び方がある」のである。では「世紀」はどうだろう。実は世紀は現在の使用の仕方を見ると、「単位」ではなく「範囲」になっているのだ!。だからキリスト生誕年から最初の100年を「1世紀」と定義したのである。範囲=グループ名だから、1年も99年も等しく「1世紀」に含まれる。満期の考えでも学年の話でもなく、別の概念なのだ。センチやミリに対する1歩2歩のようなものである。しかし「これが間違いの元」なのだ。絶対年をグルーピングする別の記号を作るのだから、「数え方も絶対年と同じルールで」数えなくてはおかしい。私の考えた答えを言うと、すべての年を並べてスケールを作り、「100から199」までを1世紀と呼ぶことにする。つまり「桁繰り上げ方式」である。勿論、0から99年までは「0世紀」である。これなら、年と世紀が「きちんとリンクして」頭に入ってくる。
世紀の表現は100年単位の数字を使って「○世紀=○百年」とし、0年から99年までを「0世紀」にするのだ。これを全世界に提案したい。ちなみに1年・2年・3年・・・と数えていって99年までが1世紀だとすると、最初の1世紀は「99年」しか無いことにならないだろうか。この問題は、2000年が21世紀に入ると勘違いした多くの人々を大いにがっかりさせたらしい。つまり2000年が終わるまでは「20世紀」なのだ、なんか変ではないか。これは最初の1年を1世紀としたために当然起こる「変な」ことである。我々は645年の大化の改新を「645年目」に起きた事件と認識している。だが事実は「644年と6ヶ月と14日経った日」に起きた事件である。言い換えれば644年目の6月に起きた事件なのだ。歴史は644年の1月1日の日から12月31日までを「645年」と決めているからこういう勘違いが起きる。間違いやすいではないか。
645年が645年間の意味になるためには「646年の0時」にならなければダメなのである。年の下に12ヶ月があり日があり時分秒があって、それぞれ60秒を1分、60分を1時間、24時間を1日と「置き換えている」。だから645年は「6世紀の45年目」とするべきなのだ。量の単位の置き換えである。世紀は単位の名称であって、時代区分ではない。決して「7世紀の出来事では無い」のだ。私の主張は以上である。
私は歴史を勉強していて「謎の5世紀」とか「7世紀の動乱の時代」とか読むと、一瞬ドキッとして混乱する。そして5世紀だから「5ー1で400年代」のことだな、とか頭で計算して徐に(おもむろに)本に戻るのである。5世紀=500年代と考えられればどれほど楽だろう、といつも思っていた。歴史学者の先生方には、こんな悩みは想像も出来ない「くだらない事」かもしれないが、いつかこういう「整合性の取れた世の中」がやってこないものか、と思って夢想しているのである。最後まで、つまらない話に付き合ってくれた皆さまに感謝したい。
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