明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

法隆寺の壁画

2018-02-07 22:00:00 | 歴史・旅行
NHK2で美の源流を訪ねる番組を見た。どうも連続した番組らしい。今日はシルクロードを西に向かって行き、敦煌の先の「クチャ」という所で石窟を見るようだ。三蔵法師が大唐西域記で記している亀慈国の数多い石窟の中から、38番の中にカメラが入っていく。

私は写し出された壁画が、以前に見た「三千院の天井画」と同じ「青」の色彩で描かれている事に驚いた。あの時はイランの青だ、と思ったが初めはもっと古く、シルクロードを伝わって日本にやってきたのが最初だとわかった。青の色は「ラピスラズリ」で描かれているというが、当時の青色は黄金より貴重だったという。イスラム商人がインド発祥の仏教を信奉している筈はなく、この青は「インド人がイラン人から影響を受けて」使うようになったものと私は考えた。東洋ではブルーは余り使われていなかったと思われているが、弘法大師が開いた京都の東寺の「密教曼荼羅」には、この青がふんだんに使われている。法隆寺の壁画が青を使っているかどうかは分からないが、絵の手法である線描画の技術は伝わっているので、多分青の色彩も入ってきていると思われる。しかし原料のラピスが手に入らなかったのではないだろうか。大陸から輸入するしか無かった当時、貴重な青の原料は日本には届かなかったと思いたい。

私は日本の歴史を研究して「ン十年」、あれこれ考えを廻らしては色んな説に飛びついてみるが、当時の人々の生活にはシルクロードを経由しての「遠い遥かな世界の風物が意識されているのだな」と思い今一度見直してみる必要を感じて、「歴史って、深いな」と改めて思った次第である。私のライフワークである「天武天皇の出自」はそろそろ結論が出そうだが、「古代とは何か」という問いかけにはまだまだ時間がかかりそうだ。

しかし、法隆寺は未だに謎の多い寺である。元は「太宰府の観世音寺を移築した」のが現在の法隆寺だというのが定説だが、その前の若草伽藍は誰が何の目的で作ったのか、私は研究不足でまだ知らない。それが落雷で「一屋余さず」全焼したと日本書紀にあるから、立て直す時間が無かったのではなかろうか。前回読んだ「私説 天武天皇の謎 日本国は倭国の別種なり」では、「倭国の天子、阿毎多利思北孤」の近畿における迎賓館的なもののように書いてあった、と記憶している。だから内装や仏像はシルクロード直系の「華麗な外国製」に輝いていて、他の奈良の大寺に無い「独特なもの」があったのでは無いだろうか。だから壁画も、シルクロードのクチャの石窟に描かれた釈迦仏画像の線描画式技法がそのまま受け継がれて描かれた、といっても間違ではないだろう。

大原の三千院が「シルクロードからやって来た絵画的な特徴」を持っているのが何故なのか、はまだ不勉強で知らないのだが、日本の文化の「大きな部分」がシルクロードを通して、遠くは地中海のギリシャ・ローマまで繋がっていた時代の息吹が聞こえてくるような、大陸的な広がりを感じずにはいられない。タクラマカン砂漠を縦横に行き来したイスラム商人達の旺盛な商売欲が、遥か中国を渡り日本を啓蒙したと考えれば、7世紀においては世界は我々の思っているよりもずっとずっと「近い」ものだったのかも知れない。そんなことを考えさせられた番組である。

もちろん、だからと言ってNHKの視聴料に納得しているわけでは全然無い。こんな良い番組なら、宣伝費を払って広告を出したいという企業がわんさか出るのは当然だからだ。何も国の税金で作る理由は無い。とまあ、言い訳をしながらNHKを見るのだから私も姑息な老人になったもんだ。それはそれとして、一度くらいはシルクロードなどをラクダに跨って旅してみたいな。今夜はそんな夢想に浸って眠りにつこう。

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