午後3時に治療を終えた患者さん夫婦と東京駅丸ビルでの引き受け氣功講習会に向かう。今日は30人前後の入りだったか。初めての人は12~13人のよう。
今日の講習会で最もぼくにとって印象的だったのは最後の最後にあった。
いつものように体重問答をする藤谷先生。ご自分が椅子に座って、二人の女性に自分のからだを持ち上げさせる。否定的な言葉の時は身体が持ち上がらず、肯定的な言葉の時は身体が軽く持ち上がる。この光景はもう何度も見てきた。だけど今日の最後のやつはちょっと違った。
藤谷先生は両脇を女性に抱えられながら「ぼくはガンだけど治るんだ」と仰って女性に持ち上げさせる。軽く先生の身体が椅子から持ち上げられる。その後、前列3人の方に対して「私に対して『いいえ、あなたはガンだから助からない』と心の中で強く念じてください」と仰る。無言で藤谷先生を見つめ念を飛ばしている様子の三人の方。その後再び両脇の女性に自分を持ち上げるよう藤谷先生が促し、女性が持ち上げようとするがこれが持ち上がらない!。
今度はその逆で藤谷先生が「ぼくはもうガンだから助からないんだ」と仰った後両脇の女性に持ち上げさせようとするが持ち上がらない。そののち、前の3人の方に向かって「今度は私に向かって『いいえ、あなたはガンだけど治るのよ』と念じてください」と頼む。一呼吸置いて両脇の女性が藤谷先生の身体を軽々と持ち上げる・・・。
これは何を意味しているのか。藤谷先生は「多数決です」と明快に述べておられた。確かに本人の意思よりも他者の想念による力の方が強かった結果に違いない。驚いたのは“他者の思いの影響力”を体重問答によって初めて見たこと。そして数が多いほうが強いのかもしれない、という2点。
前に「心配してはいけない」という内容で日記を書いたことがある。(2005年7月4日「心配」について)
その中で「医師が『この者はガンだから助からない』、看護婦もそう考える、家族もそう考える、そうやって多くの患者の周りの者が患者のガンを悪くさせる」という内容だった。今回の引き受け氣功講習会最後で見たものはまさにそれではないか?
“ガンは命取りになる病気”と考える人が多いのでその想念の力でガンが直り難いのかもしれない。とすれば“ガンは治るんだ”と思う人が多数になればガンは治り始めるのでは?
こうなりゃ初めはウソでも良いから、本当はそうは思っていなくてもいいから『ガンは治る』と言い始めるといいのではないか?言霊の力はすごいからじきにそれが本音に変わっていく。そしてそう言葉に出す人がとにかく絶対多数になればその潜在意識の想念でなんか世の中が変わるんじゃないだろうか。
これはふと思いついたんだけど最近流行の「ありがとうと言うと幸せになる」と似てる気がする。
“「ガンは治る」と言おう”キャンペーンをしたらどうだろう?NPO法人ガンの患者学研究所の川竹文夫代表や多くの人が「ガンは治る」と言い続けているけれども、直接ガンと関係ない人も巻き込んでやってみたら。
ボランティアで数人でグループを組んで“言葉療法”として許可を得て病院のガン患者さんの病室を訪れる。そして笑顔で「ガンは治りますよ、良かったですね」と皆でシャワーのように言霊を浴びせて回っていく。
もちろん大多数のガン患者さんは突然見ず知らずの他人の訪問を受けて「ガンは治りますよ」なんて言われたら最初は「無責任なことを言うな」とか言って怒り出すかもしれない。でもその後一日のうちに何度も何度も笑顔で明るく病室にやってくる大勢の人に「ガンは治りますよ。良かったですね」という言葉を聞いているうちに気持が変わっていくかもしれない。そしてそのボランティアの人たちの訪問を楽しみに待つようになるかもしれない・・・
横で見ている、聞いている看護師も変わっていくし、医師も変わっていくかもしれない。そんな活動が毎日、全国の病院で行われていたら?
今日の日記は無責任だという批判を受けるかもしれないな。でもね、ぼくは今日見てしまったんですよ。多数の念のすごさを。サッカーW杯やオリンピックのある年は国、民族の対抗意識が高まるから紛争や地殻変動が多いと聞いたこともあるから多数の意識=潜在意識の力を侮ってはいけない。
「ガンは治るんだ」という意識を多数派にする工夫を皆で始めましょう。
今日の講習会で最もぼくにとって印象的だったのは最後の最後にあった。
いつものように体重問答をする藤谷先生。ご自分が椅子に座って、二人の女性に自分のからだを持ち上げさせる。否定的な言葉の時は身体が持ち上がらず、肯定的な言葉の時は身体が軽く持ち上がる。この光景はもう何度も見てきた。だけど今日の最後のやつはちょっと違った。
藤谷先生は両脇を女性に抱えられながら「ぼくはガンだけど治るんだ」と仰って女性に持ち上げさせる。軽く先生の身体が椅子から持ち上げられる。その後、前列3人の方に対して「私に対して『いいえ、あなたはガンだから助からない』と心の中で強く念じてください」と仰る。無言で藤谷先生を見つめ念を飛ばしている様子の三人の方。その後再び両脇の女性に自分を持ち上げるよう藤谷先生が促し、女性が持ち上げようとするがこれが持ち上がらない!。
今度はその逆で藤谷先生が「ぼくはもうガンだから助からないんだ」と仰った後両脇の女性に持ち上げさせようとするが持ち上がらない。そののち、前の3人の方に向かって「今度は私に向かって『いいえ、あなたはガンだけど治るのよ』と念じてください」と頼む。一呼吸置いて両脇の女性が藤谷先生の身体を軽々と持ち上げる・・・。
これは何を意味しているのか。藤谷先生は「多数決です」と明快に述べておられた。確かに本人の意思よりも他者の想念による力の方が強かった結果に違いない。驚いたのは“他者の思いの影響力”を体重問答によって初めて見たこと。そして数が多いほうが強いのかもしれない、という2点。
前に「心配してはいけない」という内容で日記を書いたことがある。(2005年7月4日「心配」について)
その中で「医師が『この者はガンだから助からない』、看護婦もそう考える、家族もそう考える、そうやって多くの患者の周りの者が患者のガンを悪くさせる」という内容だった。今回の引き受け氣功講習会最後で見たものはまさにそれではないか?
“ガンは命取りになる病気”と考える人が多いのでその想念の力でガンが直り難いのかもしれない。とすれば“ガンは治るんだ”と思う人が多数になればガンは治り始めるのでは?
こうなりゃ初めはウソでも良いから、本当はそうは思っていなくてもいいから『ガンは治る』と言い始めるといいのではないか?言霊の力はすごいからじきにそれが本音に変わっていく。そしてそう言葉に出す人がとにかく絶対多数になればその潜在意識の想念でなんか世の中が変わるんじゃないだろうか。
これはふと思いついたんだけど最近流行の「ありがとうと言うと幸せになる」と似てる気がする。
“「ガンは治る」と言おう”キャンペーンをしたらどうだろう?NPO法人ガンの患者学研究所の川竹文夫代表や多くの人が「ガンは治る」と言い続けているけれども、直接ガンと関係ない人も巻き込んでやってみたら。
ボランティアで数人でグループを組んで“言葉療法”として許可を得て病院のガン患者さんの病室を訪れる。そして笑顔で「ガンは治りますよ、良かったですね」と皆でシャワーのように言霊を浴びせて回っていく。
もちろん大多数のガン患者さんは突然見ず知らずの他人の訪問を受けて「ガンは治りますよ」なんて言われたら最初は「無責任なことを言うな」とか言って怒り出すかもしれない。でもその後一日のうちに何度も何度も笑顔で明るく病室にやってくる大勢の人に「ガンは治りますよ。良かったですね」という言葉を聞いているうちに気持が変わっていくかもしれない。そしてそのボランティアの人たちの訪問を楽しみに待つようになるかもしれない・・・
横で見ている、聞いている看護師も変わっていくし、医師も変わっていくかもしれない。そんな活動が毎日、全国の病院で行われていたら?
今日の日記は無責任だという批判を受けるかもしれないな。でもね、ぼくは今日見てしまったんですよ。多数の念のすごさを。サッカーW杯やオリンピックのある年は国、民族の対抗意識が高まるから紛争や地殻変動が多いと聞いたこともあるから多数の意識=潜在意識の力を侮ってはいけない。
「ガンは治るんだ」という意識を多数派にする工夫を皆で始めましょう。
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