植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

境界はないのだろう

2007年02月12日 21時14分37秒 | 個人的体験・雑感
『「ガン呪縛」を解く』(稲田芳弘著)を読み終える。

千島学説について詳しく語られているのを読んでいて、ふと思う。

「赤血球がすべての細胞の根源であり、その赤血球が連続的に変化して他の細胞になっていくところを千島先生は観察していた」

 すべてのことはこの赤血球のように連続しているのかもしれないと。境界はないのではないかと。

 例えばこの世とあの世ももしかしたら境界というものはなく単に周波数の違うだけのことかもしれない。

 病気もある境界線を越したら病気になるのではなく、そう認識したら病気になるのではないか。

 “民族”という概念もそう。○○人という人種も民族もないのでは?ただ似ているからとか習慣が同じだからグループ化しているのでは?

 境界を引くことで差別化が生まれる。今更だけどジョン・レノンの『イマジン』にあるように国境などを考えないほうが生き易いのではないか?特にこの間映画『不都合な真実』を見て、この星の行く末がたいへんだから人類の視点から考えることが大事だと思うと、「○○人、××国人」と人種や民族の違いを言っている暇はないだろう、と思えてくる。

 あの映画では僕たちに生活を改め行動に移すことを促していると思うけど、それをもっと前進させるには意識を変えることが必要なんだろう。それは“自分勝手に生きる”のではなくて“皆で生きる”ことに切り換えろということもある。

 プロフィールにも書いたけど、もうナショナリズムは卒業したい。ナショナリズムや民族意識というのは全体を考えているようで実は自分勝手なんだよね。自分と同じ(と思っている)人達だけでまとまろうという。

 でもそれはやめよう。もうそろそろ一段高みに上って“地球市民”の視点で物を考えようよ。地球に生きる一人の人として環境負荷の少ない生き方をする、というのは昔からネイティブ・アメリカンのような人たちがしてきたことだ。彼らの視点を今は学ぶ時、身につけるときなんだと僕は思っている。

 だから繋がるべきは自分と同じ価値観の人であって、同じ民族の人、同じ国に住んでいる人でなくてもいいと思う。特に僕のように両親が違う国の人だとそう感じる。

 それから他者と自分を別に見做しているのが普通に生きている僕らの意識なんだけど、これも一段上がって、他人も自分も神の分け御霊(みたま)で同じものだから他人を大切にすることが自分を大切にすることになると考えを改めて、他人と自分との間の境界もなくしていけたらさらに向上するのだろう。これはとても大変、究極の意識改革かもしれない。でもこれが大我の愛なんでしょう。

 地球環境が激変していく今、一番求められているのは具体的行動ではなくてその奥底深くある僕たちの世界観の意識改革なんだと思うな。

 何のために、どのように、どのような人と生きるかということが今、すべての人に問われているかもしれない。



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