こだわらない。淡々と生きる。何がやってきても「あぁ、成長させてくれる」と思える時がある。その時間が少しずつ増えていると内心喜んでいる。
もちろん、すべてのこだわりを捨てたわけではない。こういう生き方をするというこだわりはあるのだから。しかし執着することで苦しくなることは何度も体験してきて少しは分かってきた。
親、妻、子供、物、金銭、仕事、生きがい、健康、肉体、社会、地域、思想、考え、体験・・・様々な対象に対する執着が強ければ強いほど自由になれない。人との関係でもこうあるべきと形を自分で決め付けるから苦しくなる。
あの世がありいつまでも自分の個性は変らず成長していくという風に考えているから、今生での様々なもの、事に対する執着は薄れてきている感じがする。己の肉体生命についても。
僕にとって宗教は要らないけれども、死んだ後も生きていると考える思想、信仰は例えそれが誤りで妄想であっても、僕の生き方にプラスになっている。
なぜなら、僕は死んだ後の生があると思うようになってから、
1.死が怖くなくなった。これにより現実社会で怖いものが少なくなった。
2.死んだ後も成長できると知って、あれもこれもしたいことがあるのにできないジレンマから解放された。一つ一つその時に出来ることをやっていれば良いと思えるようになったから。ようは長期的展望を持てるようになったので余裕が出来た。
3.今いる場所の意義を理解できるようになった。
霊界では似たような波長の者同志の生活により波風が立たない平和な日々だという。しかしそのぶん、魂の成長が遅くなるようで、修行の意味でこの世に生まれてくるそうだ。だからこの世は苦難の連続だという。だから今いる場所(この世)はできるだけ苦難があったほうが魂の成長が促される意味で良いらしい。せいぜい長生きして多くの苦難を受けて成長してみたい。
4.執着が少なくなった。
この世のもの、身の回りに起きることすべてが僕の魂を磨く触媒であるだけである、と理解し始めたので執着が少なくなりつつある。とても身軽になってきた。
もちろん、すべてのこだわりを捨てたわけではない。こういう生き方をするというこだわりはあるのだから。しかし執着することで苦しくなることは何度も体験してきて少しは分かってきた。
親、妻、子供、物、金銭、仕事、生きがい、健康、肉体、社会、地域、思想、考え、体験・・・様々な対象に対する執着が強ければ強いほど自由になれない。人との関係でもこうあるべきと形を自分で決め付けるから苦しくなる。
あの世がありいつまでも自分の個性は変らず成長していくという風に考えているから、今生での様々なもの、事に対する執着は薄れてきている感じがする。己の肉体生命についても。
僕にとって宗教は要らないけれども、死んだ後も生きていると考える思想、信仰は例えそれが誤りで妄想であっても、僕の生き方にプラスになっている。
なぜなら、僕は死んだ後の生があると思うようになってから、
1.死が怖くなくなった。これにより現実社会で怖いものが少なくなった。
2.死んだ後も成長できると知って、あれもこれもしたいことがあるのにできないジレンマから解放された。一つ一つその時に出来ることをやっていれば良いと思えるようになったから。ようは長期的展望を持てるようになったので余裕が出来た。
3.今いる場所の意義を理解できるようになった。
霊界では似たような波長の者同志の生活により波風が立たない平和な日々だという。しかしそのぶん、魂の成長が遅くなるようで、修行の意味でこの世に生まれてくるそうだ。だからこの世は苦難の連続だという。だから今いる場所(この世)はできるだけ苦難があったほうが魂の成長が促される意味で良いらしい。せいぜい長生きして多くの苦難を受けて成長してみたい。
4.執着が少なくなった。
この世のもの、身の回りに起きることすべてが僕の魂を磨く触媒であるだけである、と理解し始めたので執着が少なくなりつつある。とても身軽になってきた。