花、昆虫、風景など

日常感じる季節の諸々を、花、昆虫、風景などを通じてアップしていきたいと思います。

キャッツアイ

2008年09月23日 | Weblog
実は一旦自宅に帰って再度外出し、午前様近くになって帰る途中でありました。
狭い歩道を自転車で走っていたのですが、前から無灯火の自転車が走ってきたのです。
こちらは点滅のライトを点けていたのだけど、対向の自転車はこちらを避ける様子がない。

仕方がないから右に出てやろうとハンドルを車道側に切ったのだが、歩道と車道の仕切がないと思って寄せた車道に私が出たのは飛ばされて横倒しになってからだった。
歩車道境界ブロックが、25cmばかり、思いっきり自転車のタイヤを阻んでいたのだ。
飛ばされて・・・、そう、ほんの2cmばかりと思っていたブロックは安心して走った私を思いっきり吹っ飛ばしたのだ。
車道に放り出された自分は、最後に思いっきり頭を路面にぶつけていた。
膝も足首も掌も、右は全てガタガタにされてしまった。

余程安心して身を任せたんだなあ。

泣くに泣けない、笑うに笑えない事態である。
実は今に至るまで頭がガンガンして、やっと我慢できている状態である。

普通、境界ブロックを歩道と車道の間に設ける場合、標準ブロックを取り付ける場合は、目の悪い人の為にキャッツアイを付ける。
少なくとも私はそういう設計をしてきた。
目が不自由と言ってもそれは何も盲目の人ばかりではない。
色んな条件の人が世の中には居る。
片目が不自由な人もいれば鳥目に近い人もいる。
盲目の人だけが目が不自由な訳ではない。

盲目の人の為に設けられている、点字ブロック。
あれは実はタイヤの細い自転車にとっては非常に危ないブロックなのだ。
最近は歩道と自転車道が同居している歩道が多い。
しかし歩道は歩行者専用とでも言いたげに歩行者だけが専有使用しているのが実情だ。
歩行者自転車混住は取り締まる側は一体どう考えて居るのか私には判らないが、自転車道と歩行車道を分けるつもりなら、違法駐車自転車を取り締まる方向で考えて貰わないと自転車に一方的に責任を押しつける結果をもたらしそうで自転車に乗る側からは非常に恐い思いがする。

取り締まる側からも、設計する立場の人からも責任だけ押しつけられてほったらかしにされている自転車。

設計時に入れれば取るに足りない金額のキャッツアイさえも付けて貰えないで、自転車は右往左往している。
明日痛い目にあうのは実はあなた自身かも知れないのだ。