のり巻き のりのり

飾り巻き寿司や料理、己書、読書など日々のあれこれを書いています



「子どもという案内人」(あるエッセイより)

2019年04月23日 | 随想
庭の草が伸びてきました。
昔からの土地です。手入れが行き届かず、こっちをとってもあっち、きりがありません。

木には虫がついてきました。消毒をしなければいけません。
雑草を抜いたり、虫を捕ってつぶしたりしていたら、あるエッセイを思い出しました。

「いまを生きる 子どもという案内人」 小沢牧子さんの文章です。
裏は別のエッセイ。このプリント、友人がさりげなくくれたものなんです。





一部抜粋

子どもはよく、おとなに質問をする。「どうして? なんで?」と。
しかしその問いのなかには、しばしば根源的な難問がひそんでいる。

あるとき、5歳の孫息子がアリの行列を踏みつぶしていた。
「かわいそうだから、やめなさいね」とわたしは声をかける。
「うん、わかった」。

ところがそのすぐあとわたしの前に、花壇の大敵「夜盗虫」がはい出していた。
「あ、たいへん、殺さなくちゃ」と思わず叫ぶ。
すると、「その虫は殺していいの?」という彼の澄んだ声が聞こえてきて、言葉につまった。

かつて、その孫息子の親が小学生の頃、同じようなことがあった。
庭の草取りをいっしょにしながら、「この草は抜く、これは花が咲くから抜かない」と教えていたら、彼は
「お母さん、草取りってサベツの始まりだね」と。

なるほど、そのとおりだ。

幼い人たちのそんな言葉を耳に留めながら、わたしはいつの間にか、虫をなるべく殺さず雑草の花をも楽しむ気持ちにゆっくりと変わってきたことに気づく。

子どもはおとなに無心に問いかけ、おとなはその問いを考えながら、いまをあたらしく、面白く生きていく。

以上抜粋です。


私ならなんと答えるかな。心にすとんと落ちる答えを考えながら、草取りや虫つぶしを続けました。
今も考え中です。

スリランカのテロ、人間の命が虫けらのように殺されました。