
図書館で本を借りてきたけど、個人的に気になった箇所をメモしてみました。
本書は、作家阿川弘之が、三浦朱門、藤原正彦、村上龍、阿川佐和子、大久保房男、半藤一利、原武史、養老孟司との対談をまとめたもの。
1.不思議に命永らえて +三浦朱門
昭和10年~12年、日本は西欧の先進近代国家の水準にほとんど近づく。
食については、昭和15年(1940年)から日本が変わっていく。
昭和15年度産の米から配給となる。カレーが食えなくなった。
2.「たかが経済」といえる文化立国を +藤原正彦
子供のしつけは、駄目だから駄目なんだと上から押し付けるしかない。
会津「ならぬことはならぬものです」
エデュケーションとは、エデュース、つまりその人のうちにあるものを引き出すこと、それが教育。
一番重視したのは、卑怯なまねはするな。
3.好きな日本語、嫌いな日本語 +村上龍、阿川佐和子
「こだわり」
「そういつまでもこだわるなよ」というふうに、悪くひっかかる意味で使うのが普通だった。
「生きざま」
「死にざま」という言葉は古来あるが、「生きざま」なんて言葉はなかった。
「癒し」
元々は医療用語で、「モーツァルトの音楽は私の最高の癒しです」なんて気持ちが悪い。
言葉というものは時代とともに変化する。
「とても」という副詞を「とてもきれい」とか「とても素敵なセーター」とか肯定的な意味で使っているが
昔は「とてもやってられない」「とてもかなわない」といった具合に否定的な文脈で使う副詞。
「とんでもございません」はございません。
「とんでもないことでございます」が正しい。
やたらに
「・・とか」を使う言い方も、みんなが不安になっている時代の反映。
4.文士の魂 +大久保房男
「無礼者!!」と怒鳴ったと書いたりする
無礼者と書いてエクスクラメーションマークを2つもつけたら、怒鳴っているに違いないんだから、怒鳴ると書く必要ない。
5.昭和史の明と暗 +半藤一利
昭和13年ごろまではよかったんですよ。ところが昭和14年に国民精神総労働員会というのができて
「ぜいたくは敵だ」と、世の中窮屈な方向に進んでいく。
6.鉄道は国家なり +原武史
駅名にみる東急VS阪急
阪急電車が頑としていまだにチョコレート色を変えないのは見識だと思って感心しています。
あれが一番汚れの目立たぬ色・・
阪急は駅名も頑として古い。
「服部」や「山本」といった平凡な古い集落名を使っています。ところが東急は
「港北区元石川」という地域が今では駅名が「たまプラーザ」
7.日本の将来を想う +半藤一利、養老孟司
戦前の昭和は暗くなかった
昭和10年ぐらいがピークじゃないかな。丹那トンネルが開通したのが昭和9年。特急「つばめ」の
食堂車に冷房車が入ったのが昭和11年でしょう。
そこから考えるとね、昭和戦前は暗い暗い時代とかいろんないやなことがあったけど、一般の中産階級の
生活はわりに豊かで世界の先進国の水準に近づいたんです。
だから、なぜいくさを避けて、あのまま国力の充実につとめようとしなかったか、惜しいといえば実に惜しい。