浮世のことは笑うよりほかなし・・山本夏彦 講談社
先日、図書館でこの本を借りてきました!
山本夏彦さんの著作は、タイトルが秀逸で、タイトル見ただけで読みたくなる本がたくさんあると思います。
ざっと挙げると
日常茶飯事
茶の間の正義
変痴気論
笑わぬでもなし
かいつまんで言う
二流の愉しみ
ダメの人
つかぬことを言う
やぶから棒
世はいかさま
生きている人と死んだ人
愚図の大いそがし
一寸先はヤミがいい
などなど
今回借りた、浮世のことは笑うよりほかなし、対談集ですが・・
気になった箇所、印象的な言葉をメモしてみました!
三十五年めの新・韓国事情 関川夏央
関川
(韓国には)たとえば大工の用語なんてないんです。「ハリ」とか「ムネ」とか。だから今でも残っています。
寸法は「スンポ」。「ドカタ」なんかも新しい職業でしたから、言葉もそのまま入りました。
山本
どこから?
関川
日本からです。韓国が日本の植民地だった頃、いいも悪いも、いっぱい日本人が技術指導に入ってきたんです。
広告ほど面白いものはない 天野祐吉
山本
ところで、広告は多く嘘だと憎む人がいますね。僕が、新聞や雑誌の記事は信用できないが、広告は信用できるって言うとみんなあっけにとられる。だって、記事を書く人は月給をもらっているんですよ。広告は一字千金、一行いくらって大金を払って書くんだから、とにかく読ませなくちゃいけない、その上立ち上がって歩かせて、さらに買わせなくちゃいけない、それだけの筆力がないといけない。
天野
記事が本当で広告は嘘だと思っている人が多いですね。
時代遅れの日本男児 藤原正彦
藤原
外国へ行くと自分をどうやって支えるかっていうのが問題です。教養で支えるか、大和魂で支えるか
山本
今一千万人もの男女が海外旅行をしているそうですけど、知識と学問のない者が旅しても何にもならないんです。
藤原
さっきは大工でしたが、実は先生の質も、父兄も、大学生も、学者も政治家もなにもかも落ちてます。全部ですから
どうしようもない。
山本
若いものや子供が悪いなんて言うけれど、子供だけ悪くなるなんてことはありませんよ。みんな親が悪いんです。戦後悪くなったなんて言うけど嘘ですな。戦前から悪いんです。
藤原
いつ頃からですか。
山本
古くは脱亜入欧。近くは大正デモクラシーからです。大正デモクラシーは親不孝と恋愛を売り物にしました。
乱歩・東京・2DK 松山巌
山本
とつぜん家を訪ねて許されたのは戦前までだと思います。人の家を訪ねて「まああがれ」だとか「玄関じゃ失礼だ」とか。遠いから泊まっていけだとか。
松山
泊れと言うことも泊まっていくことも普通の家ではできなくなりましたね。
松山
そば屋も喫茶店のかわりみたいだったんでしょうね。それと、僕の家も職人でしたからそうでしたけど、客があると、とりあえず「モリでも」ってすすめたものなんですね。だから十時とか三時によくそばを食べたような気がしますね。
山本
そばと寿司ははいるところが違うってよく言ってましたね。お昼を食べたからは言わせない。昔は胃袋もそういう風にできてた。戦後は胃袋が小さくなりました。そばでせいろを積みあげて食べてる人を見ない。
誰も聞いてくれない地震の話 清水幾太郎
山本
清水さんは何度か政治家にもお話しになりましたね
清水
四、五年前ですか、地震を論じた拙文をずい分政治家に読んでもらいました。しかし、いつも最後に返ってくるのは、地震は票にならないというひと言です。
山本
その票にならない、ということは理由があるような気がします。ひとつは人間は「経験」しないんじゃないか、ということです。
清水
そうかもしれません。僕は何度も江東区に行きましたけど、地元にいくと、どうせ人間一度は死ぬんだから、いやな話しはやめてくれと厄介払いするように言われました。
山本
経験した下町の老人でさえそうなら、経験しない若者はもっとそうで、建築家は東京に地震が来ると知りながら、おびただしいビルを建てたことを後悔するでしょう。それでいて、大地震のあくる日からとび回って、またぞろビルを建てるでしょう。大正十二年の震災のあとがそうでしたし、昭和二十年の戦災のあとがそうでした。
清水
(笑)