山本五十六の名言は、今に至るも、マネジメントの要諦として
多くの人が引用しますよね。
『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』
『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず』
これらに関しては、そのとおりだし、実際山本さんは部下にもそのやり方で接し、だからこそ、今も人気あるのだと思う。
ただ、山本さんは聖人君子かと云えばそうではなく(笑)、歴史上残念な点は2つあると思ってます。
1つは、連合艦隊司令長官在任中
艦隊ナンバー2に、参謀長の宇垣纒(うがきまとめ)という人がいた。
実は山本さんと宇垣さんは、仲が悪く、太平洋戦争が始まったのは昭和16年の12月だけど、宇垣さんが山本さんの自室を訪ね、色々と話し合ったのは昭和17年の半ば以降という事実。軍艦の艦橋にあっても、2人はいつも離れており、コミュニケーションが殆ど無かったという。
参謀長の職務は、作戦の立案をするスタッフの長として、スタッフの意見を取りまとめ、司令長官に助言補佐する立場だけど。1年近くコミュニケーションが無く、本来の職務を遂行していたのか疑問?
山本さんは、作戦の打ち合わせは、宇垣さんの部下の黒島亀人先任参謀ともっぱら行っていた。(真珠湾やミッドウェーなど)
海軍軍人によっては、「宇垣さん、よくあれで我慢してたな」と評する人もいるし、太平洋戦争の敗因の一つに二人の不仲をあげる人もいる。
何故、仲が悪いかと云えば、遡ることロンドン海軍軍縮会議で海軍が二つに割れ、派閥争いで人事に弊害がでたことであります。
山本さんは、軍縮賛成派、宇垣さんは反対派。
2つ目は、海軍省海軍次官時代
山本さんは、昭和11年12月から14年8月まで海軍次官を務めている。
この期間は、支那事変(日中戦争)や、ドイツ・イタリア・日本の3国同盟締結の機運が盛り上がり、日本が戦争に向かっていく時代ですね。
3国同盟は、アメリカ・イギリスに対抗する軍事同盟で、締結するとアメリカとの戦争確率が非常に高まる。だから山本さんは強く反対。結局、山本さんが次官在任中は、三国同盟は締結されなかった。
ただ、昭和15年には、結局3国同盟は締結。
山本さん、海軍大臣の米内光政、軍務局長の井上成美の3人は明確に
アメリカとの戦争と3国同盟は反対の立場を表明。だから、陸軍や右翼の反感は強く、山本さんの暗殺のうわさがでたのはこの時期ですね。
残念なのは、山本さん個人は強い意志で、戦争反対の姿勢をを変えなかったけど・・組織として、海軍・海軍省として、戦争反対の組織化はできなかったことです。山本さんの部下の、軍務局の課員などは、陸軍などと共謀し、戦争準備をしてます。山本さんも、部下に対し海軍省の方針説明、あるべき姿を提示し、進むべき方向を明確に示していません。
従って山本さんが、海軍省を去ると、海軍は急速に戦争準備を進めます。
そして、山本さんは連合艦隊司令長官になるわけだから、皮肉なもんです!
戦争反対は、山本さんの個人プレーで終わってます。
あの時代、暴走する陸軍を止められるのは海軍だけだっただけに残念ですね。
ただ、山本さんは魅力のある人だし、好きですけどね。
会社人であっても、山本さんは出世しただろうし、部下からも慕われたと思います。
なかなか、完璧、理想どおりにはいきませんね・・
なんか、変なの、書いちゃったなぁ(笑)