(久しぶりに訪れた病院で、姑とこは怒っているのかもしれないと、私は感じた)
二日目に訪れた時は、お昼を食べ終わったタイミングだった。もうトレイは下げられて、こぼれたお茶らしいものがテーブルの上にところどころ広がっている。
とこは前日の食後は辛そうだったが、安らいでいるような表情で目を閉じていた。 人の気配に目を開けて、私がいることに一瞬「?」となった。今はいつ?というような状態だと思う。
昨日とは異なって、すぐに状況を理解したように見えた。私に「どこに行ってたの?」という。
帰宅後、夫にこの様子を話すと、「俺が清算とか、トイレとか行って戻ってくるとそう言う」とのこと。
実際、とこの言い方は、私のことを今日も来ていたけど、今ちょっとどこかに行ってきたのか、というニュアンスだった。
「昨日来て、『また来るね』って私帰ったじゃない? 実はその後、会社行ったの。それから家に帰った。
本当は美容院行きたかったけど、会社から電話あってね。」
「そう、… …だってあなた会社行っていないんでしょぉ?」
ぼんやりと、私が失業したはず、と、それから夫と会うことすらないという前提で話している。
以前、2月に私たちの息子が一緒に行ってくれた時、とこは「ママ(私のこと)が居なかったときがあったでしょう」と息子に必死に尋ねた。「1日くらいかな?」との答えに「そんなはずはない」と躍起になっていた。たぶん夢を見たんだね、と応えることにする。
「会社行ってるよ、3月、4月とすごく忙しくて来られなかったの、ごめんね」
「どこに帰ったの?」
「○○のマンションよ、3人で一緒に暮らしてるからね」
とこの表情は、また沈んだように見えた。
ティッシュでさっとテーブルをぬぐって、持ってきた新聞を置いた。一面で新時代「令和」を取り上げた日経新聞には、少し意欲を見せたけれども、もう文字を読み取るという様子ではなく、紙をめくるだけのように見えた。右手だけでめくろうとして、うまくいかない。手を添えると、当然というか、自分の思う通りに動くなぁ、というか、そんな感じ。
日曜のカラーのページに、服飾のデザイナーの作品でカラフルなワンピースの写真があり、これらにはいい反応だった。「こういう黒地に白の水玉のAラインのドレス、持ってたよね」というと「襟のところが形違う」ということを指さし示した。実に正しい。
水玉のドレスは、まだ結婚前に、会社の同僚の結婚式に着ていくものがないでしょうと、アクセサリーも見立てて貸してくださったものだった。今もあるよ、と私はとこに告げた。
文化面の「私の履歴書」が「橋田寿賀子」さんの初回だったので、その話を向けると「で、貴女のことはどこに書いてあるの?」と言った。「私の履歴書」の『私』を、嫁の私が自分のことを言ったと誤認したのだ。
私はいかにも、小さな存在である。
私は取るに足らぬ、存在である。そんなことは承知だ。そして、とこが私に対して尊大な夫の母であろうとしていることをよくよく、知っている。 弱みを見せたくない、あるいは、年若い、小さな嫁を誉めてやろうとしてくれたのかもしれない。
一日目の食事の際に、私は『点滴が外れたら、うちのマンションで一緒に暮らせるんだよ』と、とこに話した。
サンドイッチを買って行き、今日はこの後お昼ご飯でしょ、一緒に食べよう?と誘いかけてみた。ローストビーフ・わさびマヨネーズ入りのコンビニサンドイッチ。「わさびはダメよ」ここでも私から取り上げる訳にはいかないと思っている?
「納豆も食べちゃダメなの」「いろいろ食べちゃダメなものがたくさん入っているのよ」
つじつまが合わないだけに、食べたいけど禁止されているというようにも聞こえる。
「私はもう死ぬばっかりの人間なの、もう食べたくないのよ」吐き出すかのように、そうも言ってた。
連絡ノートを1冊用意してある。とこ自身の記憶の補完用だったり、連絡用だ。眠ったままの時は「来たけどお母さん眠ってたから」とコメントを書いたりする。
前回、私たちの息子が一緒に来てくれた時、来た記念だから何かメッセージを書いてと頼んだら「ばぁば(マンションに)帰ってきてね」とノートに書き込んでくれていた。彼の字で書かれたノートのそのページを見せて、私ももう一度「帰ってきてね」と伝えた。
とこは、自分で書き込んだページもめくって見て、とこが書いた文章を差し「私の字じゃない」と言っていた。
もしそれが本心からの本当のことなら、かなり視力も衰えているし、認知も低下していることになる。
一日目も二日目も、私はあっさりと「また来るね!」といいおいて、さっと帰った。とこは、眠り込んでいなければ「帰る」となるときちんとご挨拶のひとことがある。一日目は「もう来ちゃダメよ」(これは毎回言う)が強く、「貴女は私に(無理やり)食べさせるために来たの?」と少し怒りの様子で「ばっちいの、私」と言った。二日目は「もう来ないでね」と弱々しく「悪いわね、来てくれてありがとう」と言ったのだった。
私は夫が負担に思わないように、思いつめないように、真面目一辺倒でなく、自分たちも大事にする基本を守りつつ、できる範囲で介護に臨む方針で、間違っていないと思える。
食べたくない、なら無理に食べさせて苦しい思いをさせなくてもいい。
でもそれが本当なのか、無理をしているのではないのか、これなら食べられるという何かがあるのか、
私に出来るところで、許してもらおう。
許してね、おかあさん。ごめんね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます